意見に対して、質問はいらない
相手と私は別々の人間だから。
「ドリルの答え、見ちゃっていいかな」
小学3年生の長男が私に問いかけてきた。
私は夕食を準備するためにせわしなく台所を行き来している時だった。
頭の中には瞬時に、
・どうしてそんな疑問が出てきたのか
・それに対して、どんな風に考えたのか
・どんな結果が予想できるか
など、聞きたい事がたくさん浮かんできた。
でも、一旦それは考えるのをやめて、また、長男が面白い事を言い出したな、と思いながら
「ドリルの答えを見ちゃっていいか迷ってるん?」
と、一言だけ返した。
すると、長男は
「そう~。だってこのドリル僕には簡単だし、ひとつずつ計算してたら○○に時間が使えなくなっちゃう」
そして、少しの沈黙の後、
「でも、答えを移すと頭を使わないから、アタマに何にも残らないと思う…」
と、続けた。
それを聞き終わってから、
「なるほど、(長男くんは)色々と考えてみた結果、どうしようか迷っている事を私に話してくれたんだね。」
と伝えた。
すると、長男は尖らせていた口を横にきゅっと結んで、答えのページをめくり始めた。
私が色々と質問しなくても、彼は既に答えを持っていたのだ。
自分なりの考えを持って行動を決める
宿題の答えを見移すかどうか、問題については、
きっと賛否両論あると思う。
でも、私は意思を持っている人の決定は可能な限り尊重したい。
「自分の意見を持って行動を決める」ことは、
地味だけど、生きて行くうえで、とても大事な作業だと思っている。
同時に、自分の意見は尊重されていると感じることも大事にしている。
誰かが決めてくれる人生は楽ちんだ。
頭を使わなくても、誰かがやっていたり言っていた通りにやればいいから。
そんな選択を続けていたら、本当に自分が命や時間を使ってやりたい事が分からなくなってしまうだろう。
誰かが地ならしした道を進んでいくだけでは、プロセスがあまりに味気ないのではないだろうか。
でも「なんか面白くない」と心が麻痺してしまってからでは、感覚を取り戻すのはとても苦労する。
彼が考えながら話している間にゆで卵が出来上がった。
それを剥きながら、昔の私だったらもっと色々言ってただろうな~と回想していたら、あっという間に全部つるつるに剥き終わってしまった。
雑談はユーモアをひとさじ入れて楽しく。
相談はその人としっかり向き合う。
これは仕事でもプライベートでも手を抜かないでいたい。