離人症とトラウマ
前回ざっくりと私にとっての離人症人生を綴らせて頂いたので、今回は私のトラウマと離人症の関係についてお話したいと思います。
人によっては閲覧注意かも知れません。
トラウマと複雑性PTSD
まず私の中にあったトラウマを一覧で並べてみます。
機能不全家庭
家庭内DV
いじめ
性被害
幼少期の難病治療
こんな感じです。
元々関係の破綻していた家庭に産まれ、物心着く頃には入院生活、抗がん剤治療なども受け、その間に繰り返し受けたMRI検査により暗所と閉所が苦手になり、退院してからも同年代の子達と触れ合った事がなかった為あらゆる場面で馴染めず、家では見えない場所で暴力を受ける、そんな幼少期でした。
今思えばその頃にはとっくに家族を家族と思えた事が無く、家を家だと思えて居なかったです。
家族から事ある毎に批難され、否定され、抑圧され。
何も選べない子供時代だったと思います。
しかし持ち前のポジティブさとADHD由来の衝動性により、割と好き放題して来た方だったかもしれません。
一人で遊ぶことが得意で、人形遊びやお絵描き、工作、ごっこ遊び等、時間を忘れて没頭していました。
そんな自分に救われていた面は多いです。
ただ同年代との関わり方がわからないまま一人遊びが得意だったが故に、学校では浮いていて何かと嫌がらせや八つ当たりを受け、そのままいじめに繋がっていきました。
そうして迎えた離人症。
楽器の練習などを支えに、とにかく一人で没頭する事でやり過ごして居ました。
何をされても、何を言われても、ただ楽器と向き合って居られれば良かったです。
その後高校生になってから満員電車での通学を余儀無くされ、そこで初めて痴漢に遭いました。
痴漢は毎日でした。
車両を変えても、時間を変えても、毎日違う人から受ける。
痴漢の巣窟のような路線。
ある日、いつも通りその電車に乗った瞬間、ギチギチの車内で周りから無数の手が伸びて来て、スカートをめくられ押さえつけられ触られました。
助けを求めようにも犯人じゃない人が周りにいるかわからない。
何人にやられているのかわからない。
とにかく恐怖で震え、必死に抵抗し、目的の駅に着いた瞬間ホームに倒れ込みました。
駆け寄ってくる駅員さんの事すら恐怖で、ただ首を振って拒絶し這い蹲る様に駅から出ました。
その日から男性に対する嫌悪が芽生え、それと同時に離人症で見失いつつあった自己感覚が更に遠くに行き、解離が深くなりました。
そうして大人になって、夜職と出会います。
「どうせ被害を受けるならお金を貰おう」
そんな気持ちで始めました。
自分に罰を与えているような感覚でした。
その直後に信頼していた友人によりレイプ被害を受ける事になります。
離人症がどんどん深まったエピソードの一つです。
そうして重なったトラウマ達により複雑性PTSDとなり、離人症は続いていきました。
離人症でなければ耐えられなかったかもしれません。
離人症は”自分を護る為”?
よく解離は自分の心を守る為に起きると言われますね。
確かに私もこれまでの人生を振り返ると、納得する部分もあります。
もしあの時、正常に現実感を持っていたらどうなっていたか。
そんな場面が沢山あります。
離人症になり現実感を失い、様々な抑圧により自己を失い、あらゆる被害で感情が麻痺して、更に毎日の様に言葉の暴力を受け続けて。
現実感があって、感情がはっきりしていたら、きっと別の精神疾患を発症していた事でしょう。
離人症は自分に対してしか苦しみを与えません。
自分から見た世界がただ曖昧で、遠くて、寂しくて。
直接他者に何か影響を及ぼすものではありません。
そう考えたら長年苦しんできた離人症を許せるような気がしました。
なくなる前までは離人症のせいで生きている事が辛いと思っていましたが、今は離人症だから生きてこられたんだな、と感じる事も多いです。
勿論現在進行形で当事者の方にとってはまだまだ辛い症状ですし、私も何度も諦めようとしました。
だけど、離人症は案外悪いやつでは無いのかもしれません。
当事者の皆さんと会うとより思うのが『元々感受性豊かで繊細で、物事に敏感な方が多い』というものでした。
色々な事に過敏だから、離人症になったのではないかと。
生きているとどうしても良い刺激も悪い刺激も多く、その悪い刺激に触れる事が多くなった時に離人症になってしまったのではないかと。
そして感性が豊かな方々だから、現実感があった頃との感覚の違いが大きく、離人症を自覚しやすいのではないか。
私はそんな風に感じて居ます。
トラウマとの別れ
私は今回、離人症をどうにかする為ではなく、とにかくこれから生きるという事に全力を尽くして、大きく環境を変えました。
その中で約1ヶ月デジタルデトックスをし、裁縫などをしながら自分と対話し続けてようやく現在心身共に安定しています。
環境を変える為にトラウマと直結するもの達と縁を切り、余計な思考を生まない為に情報を遮断し、ひたすら自分と対話して、自分自身が”ただ生きていて良い”と思える状態にしました。
その中で気がついたら、離人症とうつ病を手放して居たのです。
それに気づくのにも時間が掛かりましたが、ふと空を見上げた時に「綺麗だな」と自然に感情が湧いて、初めてわかりました。
離人症になるのも、無くなるのも、本当に突然でした。
自然に感情が湧く度に涙が出て、そんな自分をなかなか受け入れられず暫くはメンタルが揺らいで居ましたが、ゆっくり焦らずを心掛けて生活の中の些細な刺激を受け取る訓練をし、今に至ります。
まだまだ刺激には弱い為、ニュースやYouTube動画、通常のタイムライン等も見られませんが、やっと人と話したり連絡を取り合ったりする事が出来るようになりました。
これからも焦らず、生きていきます。
まだまだ書きたい事は沢山ありますが、今回はこの辺で。
ここまで読んで下さり誠にありがとうございます。
それでは。