C.G.ユングを詠む(005)-フロイトとの交流
C.G.ユングについて、河合隼雄先生が表された「ユングの生涯」の読後メモの5回目。
1~14項は、以前の投稿。文末にリンク先を掲載。
15.精神分析-フロイトとの交流
ユングは言語連想の方法で患者の無意識を探究することに成功していた。この方法を見し出してから、フロイトの『夢の解釈』の抑圧のメカニズムに馴染みになって、よく理解できたと言う。1903年の話。
フロイトは当時、学会から胡散臭い者として扱われていた。1905年にはフロイトの学説を擁護し1907年に初めて会う。しばし、熱烈な協調が見られた。1910年には国際精神分析学会でユングはその会長にまでなる。しかし,1913年には二人は決定的に訣別してしまった。
1907年3月3日にユングとフロイトは初めて直に会う。その時の様子は映画「危険なメソッド」に描かれている。フロイトの印象をユングはこう「自伝」に書いている。
この映画には、フロイトの依頼で、オットー・グロスというジャンキーな精神科医が治療のためにユングの元に送られてくるエピソードが含まれている。だから、ユングが彼の治療に行き詰まると、逆に精神科医であるグロスがユングを分析したりした。結局、直すことができず統合失調症(当時は、早期性痴呆といったらしい)と診断して終わる。映画ではグロスは病院から逃亡したことになっていた。
ユングとフロイトが訣別した要因は、フロイトの性理論に対するユングの認識である。そもそも出会った頃から、ユングは両手を上げて賛同していたわけではないそうだ。1907年に刊行された『早発性痴呆症の心理』に、フロイトの性理論をそのまま受け入れるわけではないと書かれている。
16.夢分析-フロイトとの交流
精神分析家になるためには、自分自身が夢分析を受ける必要があるとのこと。フロイトとユング、もう一人フェレンツィという人の三人の間で夢分析を行ったことがある。ユングがフロイトの夢分析を行う際に、フロイトの私生活について少し詳細な情報があれば、踏み込んだ分析ができたと伝えたところ、自身の権威を失うのでできないと答えた。
ユングはこう述べている。
あくまで、自分の理論の範疇でユングをコントロールしたがるフロイトに対して、見たもの観察したものを切り捨てずに、収集・解釈し研究していくユングの態度は家父長の元から飛び出して行ってしまう言うことを聞かない息子のように感じられたようだ。
今でもこうした頑固頭の保守派はいくらでもいるというものだ。
この二人の考え方の差を示す次のエピソードは、映画「危険なメソッド」にも出てくる。
河合隼雄先生は、どちらにしても二人ともパラドクスを抱えていることを指摘している。
17.フロイトの彼の弟子たちへの評価
最近、アドラーは有用でユングは役に立たないというコーチに会ったが、ユング心理学は精神病の治療専用であると誤解していた。ユング心理学は演劇・映画、漫画・アニメの世界ではかなり広く学ばれて作品に取り込まれている。心理学的タイプ論であるMyere-Briggs Type Indicator いわゆるMBTIの基礎がユングの性格理論であることも知らなかったようだ。とんでもコーチもいるので要注意。
フロイトのユングとアドラーへの評価も全く逆であることも知らないようだった。顕在意識が支配的なところではアドラー心理学も有用であることは私も認めます。
説明がつかない事実や、考え方が異なるものもそこに存在するものとして、合理、非合理を問わず対象として取り上げてこそ科学であるという姿勢をとりたいものだ。
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今回はここまで。私のバイアスのかかった気づきなので、わかりにくかったり、初歩的すぎるところはご容赦願いたい。ご興味を持たれたら、河合隼雄先生の「ユングの生涯」を手にされたい。
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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: https://teal-coach.com/
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