『死者への7つの語らい(1916)』
『死者への7つの語らい』の邦訳は、「ユング自伝2」の付録として収録されていて、これはユングの死後に発表された著作になる。
今回はその第Ⅳ章の感想メモになる。
この第Ⅳ章はユング自伝2付録Ⅴに入っていて、2世紀の初期に実在したグノーシス派の教父バシリデスが、エルサレムから帰ってきた死人たちに教えを説く形式で書かれている。
河合隼雄著「ユングの生涯」によるとこうある。
ユングの心理学的基盤が完全に出来上がったものと評されるので、この付録Ⅴを本編より先に読んでいる。
◎ユング自伝付録Ⅴ、第Ⅳ章
Ⅱ章では、私(教父バシリデス)によって、死者たちの信じている神の上位にアプラクサスと言う神が、彼らの神と悪魔の上位にあると説かれて、死者たちがパニックに陥った直後から始まる。更に第Ⅲ章では、至高の神、アプラクサスについて説明をもらったところで終わった。
ここで登場する死者とは、ユング自伝2付録Ⅴ、I章で登場したエルサレムへ行ったが、探し求めていたものが見つからず私(教父バシリデス)の家に訪れて教えを請うてきた者たちである。代表的な説明はこんなものであった。
第Ⅳ章は、こんなふうに始まる。
神と悪をアプラクサスの前に同等に位付けしてしまった者に対しては、神の信者からはグノーシス派の教父バシリデス(ユングの代弁者)を呪われたものと呼ぶのであろう。彼の説明はこんなふうだ。
神を1つにしたことに否定的な説明が続く。一神教教徒の方は読まない方がいいかもしれない。
ユングの持つ、神と悪魔を対等もしくは、悪魔を神の子として位置付けるイメージは、ゲーテの戯曲「ファウスト」の影響を受けている。神と悪魔の説明は続く。
これは分かる。エロスと生命に善悪の色はつけられない。
これは、私にはわからない。生命と愛の対立とはどんな対立だろうか。
アプラクサスの対立が非現実という説明が他の章でも出てくるが、私にはまだ解釈できない。至高の神アプラクサスの対立するものが、非現実とはピンとこない。
単純すぎて何を説明しているのかわからない。21世紀にユングも生きていれば、違った世界観を持つのではないかと思う。
神を一つにしたことに対して、批判的な説明がこここら始まる。あくまでユングが書いたものとして受け止めてほしい
この説明は非常に腑に落ちる。人間は一様ではない。それを一神教の神と同じで個性を無視して一つにしてしまうのは拒否したい。と、私は思うのだが、ユングは神こそ一様さが保たれないという。むしろ神々の多様性に人間が対応できないと考えていたようだ。
程度の差こそあれ、神ほどではないにしろ、やはり人間も多様とは考えていたようだ。
この“最高の善”とは何だろう?
ユングの説明が是非聞きたいところである。
ここで第Ⅳ章は終わる。
プレロマとクレアツールとは何かを再再掲しておく。
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この後の内容。
第Ⅴ章では、教会について。
第Ⅵ章では、性のデーモンという言葉が語られる。
第Ⅶ章では、人間について。
だんだんと何のことかわからなくなってくるが、私の勝手な感想を書いていく予定。
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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
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