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②傷ついたあの日、私は確かに「存在を認められていた」

与えられていたとは具体的には何を指すのだろう?生命にかかわる衣食住の提供だろうか、幼い子どもに排泄のケアをすることだろうか、何かしら優しい言葉を掛けてくれた、心を寄せてくれた、傍に座ってくれた、このようなことだろうか。

私は考えている。

考えて‥今の結論は、「心を動かされること」は、与えられていたのだということです。心が動くとはどういうことかな?と考えると、人は様々なことで心が動くよね。もちろん優しくして貰える時にも心は動く。けども私の場合だと、「ほら、あの子の親って変わってるわよ、関わってはいけないわよ」的な排除や母子家庭だからと「給食費を払わず食べてズルい」、「のりこちゃんの家はお父さんか死んでる、伝染らないように、のりこちゃんの傍を通るときは親指を隠せ〜」などと意地悪された時にも心が動いていました。

上記の様な扱いを受けるのは傷つきます、とても。ですが、何にも反応されず、透明人間のような扱いは受けていません。私が存在していることを認め、どのような家庭環境にあるのかに関心を持ってくれているとも、とれるのです。

給食費のときは、「好きで給食費を払ってないんじゃないよ、私だって払いたいんだよ」
親指は、何故か後になってお母さんに怒られたからと謝られたんですよね。「いいけど‥傷ついた」そのような返事をしたと記憶しています。

残酷だなぁと感じています‥
泣くのを通り越す程に傷ついています。
ですが、
何にも反応しない、居ない者とする、無関心が1番非情なんです、実は。

私は、私の存在を居ない者とせず反応する人が周りにいたからこそ、自分が母からされていることが異常なのだと知れたし、世の中の仕組みに触れる機会や置かれている環境に疑問を抱くきっかけとなったのです。

一見マイナスともとれる扱いが、実は「与えられていた」と気付けたのは息子が小学校1年生の頃の事でした。息子の同級生に、明らかに機能不全家庭に育っている家庭の子どもがいます。私はその子どもを気にかけていました。すると、班長さんのママさんが、「あの家とは関わらない方がいいよ、見てみぬふり!知らない振りが一番波風立てないのだから。とばっちりがこっちに来たら大変だから」こうアドバイスしてきたんです。

ものすっっっごいショックでした!
だから私は救われなかったのだと理解できた瞬間でした。でも、班長さんのママさんの言うことも一理あると感じたんです。息子に何かしらとばっちりが来たら嫌だな、しかもあの子に対して責任も取れないのに何かしらして親御さんの怒りをかっても面倒だなとも感じたんですよね。

そうか、
現代だと、昭和の時代より人との関わりが希薄になっている分、昭和に子ども時代を生きれた私はある意味でラッキーなんだと気付いたんですよ。嫌悪感や怒りを隠さない近所の方々でしたが、町内の廃品回収やゴミ捨て場の清掃や、草むしりなどに母が参加しないと、子どもの私に「お母さんが出でこないなら子どものあんたが手伝え!」そう言って有無を言わさず手伝わされました。

母が夜が更けても帰ってこず玄関前の冷たいコンクリに座って待っていたら、向かいの家のおばちゃんが、温かいカルピスとクッキーをお盆に載せて手招きしたんです、「まだお母さん帰ってこない?何かお母さん言ってた?カルピス飲める?」身体が冷えることや不安だろうという事を気にかけてくれたのでしょうか。

カルピスを飲みクッキーを食べ終わったらお盆は玄関先に置いておくようにおばちゃんから言われてましたが、是非とも美味しかったことや温まっている事を伝えたく呼び鈴を押したのです。玄関先に出てきたおばちゃんにお礼を言うと、「シッ!近所に聞こえるだろ」と、お盆を中へ引いてサッとドアを締めたのです。

カルピスを飲んだことを母にこっぴどく叱られましたが、おばちゃんのおかげで子どもを玄関先で待たせることをご近所に気にされるのが面倒と思ったのか、母からスペアキーを渡されて寒い玄関先で待たずに済むようになったんです。おばちゃんが何にもしなかったら、どうなっていたのでしょう。

自分が母親になって思うのは、一見マイナスにも思える近所の方の行動も現在の私の在り方に繋がっているということです。他人の子どもと関わるのは勇気がいりますね、ある種の覚悟も入ります。関わってくれた方々に感謝だなと、そう思います。

確かに、当時の私はとても傷ついた。どうしようもなく傷ついていました。だけど今振り返ると、それは「無関心」ではなかった。もし誰も何も言わず、私のことを完全に無視していたら、「自分の家庭環境がおかしい」と気づくことすらできなかったかもしれない。つまり、「違和感を与えられた」ことで、私は世界を知ることができたのです。


お決まりですが、
またもや、
こっちが本題かしらとゆー
エピソードをひとつ。



セブンソードくんが下校するなり、「S君に走らされた、たまには外で遊ぼうかなと大縄跳びしたら失敗して、失敗したらトラックを2周やと命令されたんや、むかつくわ!外で遊ばなきゃよかったわ」

しょんぼりしている。
「何でなんやろ?セブンソードくんだけ走ったの?」問うと、違うのだと、失敗した者は2周走ることになっており皆同じ条件やと言う。

S君がまた意地悪したのかと、のりこは思ってしまった‥実は先日、小学校を卒業したら友達グループ7人でモールへ映画を観に行こうと盛り上がっているけどS君がセブンソード君は連れて行かない、近くのスーパーでさえ自転車で向かうとき息があがってハァハァしてるようでは無理!体力つけたら連れて行ってやると仲間はずれやと、イジメなんやと、しょげくりかえっていたのだよね。

セブンソードくんの落ち込みようは大きくて、「何でS君は俺だけ定員オーバーなんだとか言うんや‥」喉に痰が絡み声がカスカスになり、要は軽い風邪までひいてしまい、本人から有給の申し出があり2日間学校を欠席して再登校したその日にもS君は息子を仲間はずれにするような事を言ってきたんやと、のりこも傷ついたんだよね。

担任の先生もセブンソードくんの心の問題を心配して電話をくれていたのだけど、セブンソードくんもS君が遊びに誘ってくれて皆が集まってるのに、スーパーのドラゴンボールのゲームがやりたいからと30分で帰ったりと自分勝手な行動したりとお互い様だし、子ども達で解決できると思いますと話をしていたのです。

友だち同士のやり取りの中でしか学べないこともあるし、先生の耳にだけ入れて様子を見よう!それにS君はセブンソード君の事が好きなんですよね、友だちとして。それが伝わってくるから信じようと思ったんですよ、S君を。でもでも、心配やったけども‥見守るしかないし、セブンソードくんは意外とコミュニケーション私より上手くやったりするし、何か騒がない方がいい気がしたんです。

「ほんとSの言うにはセブンソードの為や、そう言うんやけど全然俺の為になってないしね!」
ぷぅと頬を膨らませるセブンソードくん。

ふと、
「S君がセブンソードくんの為と言うなら理由があるのじゃない?モールまで4キロ弱あるし何かあったらなと心配してくれたんやない?」
自転車に毎日乗って長い距離を漕げるように練習するとかどう?提案すると、

「S君は自転車やなくて前跳び100回しろと言うんだよね。セブンソードくんは苦手だからと諦めるのが早すぎる。もっと頑張れ!そのぷにぷにバディじゃ女にもてないぞ、体を引き締めないかん!35kgまで痩せろ!言ってくるんだよ〜」

ん?
ん?
ん?

「俺にモールへ自転車で行きたいという本気をぶつけてこい!前跳び100回できたら連れて行く!100回出来たなら縄跳びができるということだ。認めてやるって。S君が特別に先生になってやると言っていたわ」

要は女の子にモテる為に、グループの一員としてセブンソードくんもモテる為の努力をしろと、S君も協力するからと言って来てるんですよ😂😂😂毎日縄跳びをやり身長を伸ばし、脂肪を筋肉に変えていく、加えてスクワットやランニングも30分やるように。S君も毎日縄跳びを頑張っていると、セブンソードくんもやれと。縄跳びも今の縄跳びじゃあかんと、アシックスを買ってこい、俺のオススメだと言うんだそうです。

アシックスの縄跳びはあるんだよ〜、
noteのやまとたけるさんが教えてくれたんだよ〜!

何だか、のりこは泣けてきた。S君はセブンソードくんをグループの一員として期待してくれとるんやな、前跳び100回を目標としたことにS君の優しさが現れているな。今、50回跳べるからあと50回頑張れば達成やもんね。

前跳び100回達成したら、縄跳びできる!認めてやる! by.S君
友だちが認めてくれたら、どれだけ嬉しいことか、達成感が高まることか!!後ろ跳びでもなくあや跳びでもなく、二重跳びでもなく、はやぶさでもないね。

S君はセブンソードくんに対する俺なりの愛情やと話したんだという。

S君少しでも疑ったおばちゃんを許してくれ、君はいいやつやな。女の子に何とかしてモテたいとゆー、中学生デビューを果たしたい欲が溢れ出ているけども、なんとゆー。おばちゃんは号泣です。

号泣するのりこに引き気味のセブンソードくん、
「ママさぁ、泣かんでいいわ。ぽちゃぽちゃバディの俺の方がS君よりモテてるんだよね。やけどS君には言わんかったわ」
「それに、俺の服装をオタクっぽいからカッコよくしろと言ってくるけどS君だってマイクラやで?俺のがカッコイイと思う。言わんかったけど」

セブンソード!
それで良いよ、よくぞ言わなかった!
S君に先生を是非ともお願いしますと、俺の運動に付き合えと言ったらいいやんと、のりこだけ泣きながら話したのであった。

S君の言葉は、最初は厳しく、排除のように聞こえてきた、だけど実は、S君なりの「仲間にしたい」という気持ちの表れでした。優しさは、いつも優しい言葉の形をしているわけではないのかもしれないのです。

こうして振り返ってみると、
私は「与えられていた」のです。

それは決して温かい言葉や優しさばかりではなかったけれど、無関心ではありませんでした。
S君のように、一見厳しい言葉の裏に愛情が隠れていることもある。そして今、私は息子を通じて、「与えられているもの」に改めて気づかされています。

誰かが自分を気にかけ、言葉をかけてくれること――それ自体が、実はとても大きな贈り物なのかもしれない。
そう思うと、世界が少しだけ優しく見えます。




土曜日の朝
セブンソードくんは縄跳びの練習をしています!
それも自発的に!
彼も女の子にモテたいのでしょうか。
そういう事ですね、成長しています!






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とのむらのりこ
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