「車に酔わなくなってくれてありがとう」なんて、そんなことに感謝してくれてありがとう。
他人と裸で同じ空間を共有するのがありえないという理由で温泉に入るの嫌いだった友人から、突如、自ら温泉行きたいと提案があった。
以前は、家族にも裸を見せるのが恥ずかしい、海でビキニを着るのも、水着は下着と同然だからありえない、と言っていた彼女だったから、突然、温泉に行きたいと言い始めた彼女にわたしはとても驚いた。
彼女の中でどのような心境の変化があったのかはわたしにはわからない。
とはいえ、一緒に温泉に行けるようになって私は嬉しい。
私は言った。
「温泉に入れるようになってくれて、ありがとう。」
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その日、私たちは東京から河口湖にドライブに行っていた。
私は車が本当に苦手で(車というか乗り物全般)、以前には、ドライブ中に車酔いして耐えきれず、途中で降りて一人電車で帰る、みたいなことをしたことがあるくらい車がダメ。
最近、教習に通って車に慣れたり、車内で好きな音楽かけるようにしたり、後部座席じゃなくて助手席に乗ったり、酔い止めを飲むことで酔いづらくなった。
(こんなにも初歩的かつ簡単な予防策を今までしてなかったことが愚かなのは見逃してほしい)
そして、車で楽しく出かけられるようになった私に彼女は言った。
「車に酔わなくなってくれてありがとう。」
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わたしはこの事象から、3つの気づきを得た。
一つ目は、人は変わるんだということ。
二つ目は自分の変化には自分では気づきづらい、または、気づいていたとしても、自分では大したことだとは認識していないということ(そして、それは誰かにとっては大したことでありうるということ)。
3つ目は、些細なことでも感謝する/されると幸せな気持ちになれるということだ。
まず、「人って変わるんだ!」というのがわたしの驚きであった。
なぜなら、「人は簡単には変わらないもの」というのがわたしの中に、ある種の固定観念として存在していたからだ。
わたしも彼女も、もう20数年生きてきているわけだし、自分の好きなもの嫌いなものを自分でわかっていて、それは基本的には変わらないんじゃないかと思ってた。
だって、嫌いが好きになったり、苦手が普通(あるいは得意)になるのってすごい。
好き・嫌いや得意・不得意でその人が構成されていると思うから。
なにが好きでなにが嫌いか、もっというと、なにをいいとしてなにを悪いとするかの価値観がその人をその人たらしめている、と私は思うから。
好き嫌いが変わったら、その人じゃなくなってしまう気もする。
だから、人って変わるんだ!ってびっくりしたのだ。
そして自分も気づかぬうちに変わっているという驚愕。
次に、人は、自分の変化には自分では気づきづらい、気づいていたとしても、自分ではそれを大したことだとは認識していない、ということだ。
わたしは自分が車に酔わなくなったという認識を持っていた。
しかし、それは自分にとってなんてことないことだった。
なんせ、酔い止めを飲んだだけで解決したし、車酔いで辛かった過去はとっくに忘れているのだから。
でも、彼女にとってわたしが車を克服したことは大きな意味を持っていた。
彼女とわたしはアウトドアが趣味で、必然的に車で出かける機会が多かった。
だから、わたしが車の中で死にそうになっている状態から楽しく会話できるようになったことは、彼女にとってとてもプラスなようであった。
最後に、些細なことでも感謝する/されることで、幸せな気持ちになれるということだ。
わたしが「温泉に入れるようになってくれてありがとう。」と言ったら、
彼女が「車に酔わなくなってくれてありがとう。」と返してくれた。
車に乗って酔わないなんて、そんなことで感謝されて嬉しかった。
どちらも、「え、そんなことで?」というような取り上げるまでもない小さな変化であるように思えるが、
少なくともわたしの心は彼女のありがとうによってじんわりと、オレンジ色の何かに包まれた。
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数ヶ月に一回会う友達だけど、お互いに変化があるというのは楽しい。
これから、自分や他人が変化するのを楽しめる人でありたいと思いながら、富士山の見える温泉に浸かっていた。