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後悔していること#35
母関係でもうひとつ。相手が亡くなってしまうと、取り返しがつかなくなり、今でもずっと悔やんでいることがあります。そして、それがまた、その後の自分を形づくっていきました。
母との喧嘩
友達から神社内でアルバイトを一緒にしないかと言われ、自分では見つけられないような仕事に楽しそう!と思い、母にアルバイトするからーと伝えたところ、NGを喰らいました。家族はウサツキが生まれるずっと前から仏教団体の信者で、神社でアルバイトなんてあり得ないということらしく。やってみたいと思っていたので、悔しくて悔しくて。勝手にやっちゃおうかなと思いつつも、真面目気質が抜けず、友人にはきちんと断りましたが、少し困らせてやろうという気持ちによって、母に断ったことを伝えずにいました。
ひどい言葉
ひと月ほど経ち、普段と変わらず過ごしていたある日、母に「あれって、断ったん?」と聞かれ、ふっと怒りがこみ上げてしまい、「断ったよ!やりたかったのに。このことは一生恨むわ!」と言い放ってしまいました。多分、ひと月の間、ずっとモヤモヤしてたんだろうなぁ。大したことないことで一生を持ち出すなんて、ひどい娘だと思いましたが、どうにもこうにも言わずにはいられなかった。母は少し寂しげな顔をしましたが、ホッとした様子で「そう。よかった。」とだけ。ひどいこと言われても、よかったって言わせる宗教ってなんなんだろう。ここで生まれたことで勝手に入れられて、勝手に連れて行かれて、やりたいことも奪われる。親の扶養でいる間はしかたないと思いながらも、自分が世の中を知るたびに、理解できないことが多いことに気づき、ほんとに嫌でした。
その後、特にそれを引きずることなく、普段通りに接していました。ただ、ウサツキの中に、あの言葉はあかんかったなぁとモヤモヤとしたものがありました。
やり場のない気持ち
そして、その2週間後くらいだったかな、母は突然倒れ、1週間ほど生死を彷徨った後、亡くなりました。謝ることが出来ないまま。病院で、茫然てしているウサツキにとどめを刺したのは、叔母から言われた言葉でした。
「お母さん、アルバイトのこと、すごい気にしてたよ〜。結構、悩んでたみたいよ〜。」
え?
それ、今言う??
ウサツキの絶望感と、事実とはいえ叔母の配慮のなさに、悲しみと罪悪感と怒りが入り混じって、頭が錯乱しました。亡くなったのは、私のせいなんじゃないか。変なストレスを与えたんじゃないか。
もう、こんな後悔したくないから
はい、ここで学んだことは、後悔したくなければ、誰に対しても、もうこれが最後かもしれないと思って接しよう、ということ。このことでウサツキは人と争うことを避けるようになりました。もともと平和主義でしたが、どんどん許容範囲が広くなり、にっこり笑って過ごせるよう立ち振る舞うようになりました。うっかり放った感情的な一言で、一生、後悔するくらいなら、笑っている方がいい。喧嘩したままなんて悲しすぎる。
そういえば、ひとつ前の記事のAくんは、いつも笑っていて、誰かを責めたり、文句を言ったりしたのを誰も聞いたことがありませんでした。誰かが喧嘩していても、笑いながら、まー仲良くいこうやーとうまく丸く収めたり。ウサツキはAくんほどはうまくはないけれども、なんとなく似ているなと思いました。身近な人を亡くすと、また傷つきたくないから、人との接し方が慎重になる。
自分の感情をあまり出さない、気ぃ遣いぃのウサツキが出来上がっていった出来事でした。