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ヒーロー

結構前に書いて下書きのままにしていたどうでもいい話。

たまたまテレビを流した時にやっていた水戸黄門。いつもの展開で町娘を助ける安心の流れで、ドキドキしている娘にこの時代劇は最後はハッピーエンドだから大丈夫だと伝えるものの、小学生の娘にとっては町娘が悪くもないのに嫌な思いをして連れていかれそうになったり、さっきまで偉そうにしていた代官がひれ伏しているのかがなぞの様子で説明するのがややこしい。
ただ、黄門様が登場人物の中で頂点にいるということはわかるらしい。

アンパンマンのようにバイキンマンが悪さして、それはよくない、許さないぞとアンパンチで制裁を加えるのとは違う、権力と権力でやり合う戦いがなんだか…結局どうなの?と感じるのは私だけかしら。
いや、まぁ作り話なんだからいいじゃないと思うものの、結局最後にめでたしめでたしになるのは黄門様に権力があるからなわけで、彼が普通の町民でもほんとに動いたかい?助けたかい?と思うと、なんかモヤモヤが止まらない。
まぁ、悪を正していることは素晴らしいけれども、どっちが身分が上かっていうのが勝敗を決めるポイントになっている以上、理不尽な悲劇は根本的にはなくならない。だって、相手が黄門様だったからすいませんとなるだけで、他の人に対しての行動を悔い改めるわけでないので変わらないのだから。

よく耳にする、困ったときに議員さんに少し働きかけてもらうだけで、役所の動きや態度が一転する構図に似ている。
人を見て仕事をするのはどうなのかな。高圧的に話をするのがそこの方針なら最後までそれで通して信念を貫いて欲しい。黄門様?そんなの関係ないよ!って。
それに黄門様も知っていると思う。わしが名乗れば皆ひれ伏す。カッカッカと高笑い。今も昔も変わらない権力による解決。善良な権力者という設定は本当にヒーローなのか怪しいものだなと。

では、黄門様、金さん、シンさんに並ぶ新しい時代劇を作るとしたらどんな設定にときめくだろうか。あれこれ考えてみたものの、時代設定から仮面ライダーのようにあり得ない設定が使えるわけでもなく、結局のところ、人がスカッとするのは傲慢な権力者が何も言えなくなる悔しがる様子を見た時だとすると、いくら善良な町民がアンパンマンのごとく身を削りながら戦ったところで権力で降りかかる悲劇は権力でひねり潰される。
あぁ、結局権力頼みしかないのか…
いや、そもそも権力で降りかかる悲劇ってなぜ起きるのか。権力を振りかざすような気持ちにならないような理性は育たなかったのだろうか。
となると、真のヒーローとなりうるのは基本的な道徳を身につけ、理性ある大人になるような教育であり環境なのかなと。

というわけで、世の中のおじいちゃんおばあちゃんが黄門様を観て、いつもの展開にあぁよかったねぇと喜ぶのであれば、是非ともお孫さんと一緒に観て、たとえ権力を持つようなことがあっても道理に外れたことはしてはいけないよ!その力は自分の私利私欲、優越感のためではなく、みんなに喜んでもらうために使うんだよと諭してもらえたらなぁと。そして、自らが真のヒーローになって、お孫さんを新しいヒーローに成長させてもらえたらなぁ…
なーんて思ったりしたの。

まずはおじいちゃんおばあちゃんが権力を振りかざすタイプの大人じゃないことが前提だけれども。

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