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わたしと、台所

今回の「わたしと、○○」シリーズ、ほんとうは前回のリベンジ(?)で「料理」にしようと思っていたのだけれど。

色々と考えて、そもそも料理をする場所を整えたり、台所での作業が好きだということに気が付いて、今日は台所について思うことを綴っていこうと思います。

とはいえ、料理についての下書きがずっと残っているので、それはまた今度。


「気を整える場所」としての、台所

近頃のわたしにとって、台所は「気を整える場所」になりつつあります。


料理をするとき、あるいはわたしの場合、ときどき染めをやるときも。

たまには、音楽やポッドキャスト番組を聴きながら作業することも好きなのだけど、最近はほとんど無音の環境で台所に立つことが多い気がする。


特に、こちらで長く暗い冬を過ごしていた頃、気を紛らわすために音楽ばかりかけていた(そうじゃないとやってられないくらい、外がとにかく暗い)のですが、あるときふと「料理をしているとき、なんか気が散漫している」ということに気が付きまして。

それで、その日のお昼ごはん作りの際、音楽を聴くのをやめて、台所で作業するときの動作ひとつひとつに、いつもより少しだけ集中してみたのです。


野菜を手にとるときの感触。水でさっと洗うと、少し生気を取り戻したような様子。

木のまな板にのせ、包丁を入れるときの感覚。鍋でくつくつと煮ているときの音や香り。


そういった動作と感覚を、ひとつずつ確かめてみて「ああ、これだけで充分に幸せ~」と思えたのでした。

もちろん、食べるときの味や食感を楽しむために、無音の環境にすることも多い。最近は聴きたいポットキャストも多いので、その日の気分によるけれど。音楽も然りか。


とにかく、台所に立つときって、なんとなくテレビやラジオを楽しみながら~ってことも多くなりがちなのです(実際、母がそうだし自分も実家にいるときはよくそうしていた)が、台所の作業に今一度集中してみると、その日の心持ちや自分のエネルギーというか状態が、よくわかるものです。


「ラボラトリー(実験室)」としての、台所

これはずっと前からそうなのですが、わたしにとって台所って、ある種の実験室のような場所で。

ふだんの料理はもちろん、お菓子やパンづくりもか~な~り目分量でやるし、なんなら作っている最中にひらめいちゃったりして、途中でゴールを変えることもしばしば。

味付けも思いつきとか気分なので、一度として再現できない料理がめっちゃできます。でも、それも楽しいよね。


特に、こちらに来て夏を迎える頃から今にかけて、リトアニアは収穫期。もともと農業がさかんなこともあって、農家さんの数もそれなりに多いようです。

加えて、この数年ではすこ~しずつオーガニックファーマーも増えてきたのか、旬の野菜やちょっと不思議な野菜がマーケットで見られることも。

(あ、余談ですが、わたしがリトアニアに来るようになってから好きになった野菜を3つ挙げると「ビーツ」「にんにくの芽(むかご付き)」、あと「ケール」です。ケール、あんまりこっちでメジャーではないが、森の農園で育てていて、オーブンでカリカリにするか、細かく刻んでパンケーキに混ぜ込むのが大好きなのです)


わたしにとって、台所にはなんとなく「なんでも試したらいいんだよ~」という、オープンな雰囲気が漂っているように思える。

それはきっと、小さなころから母に料理を教わって手伝ったり、一緒にケーキづくりをさせてもらったり、あるいは大人になってからも、仕事(主にカフェ)とかシェアハウスとかで、誰かと一緒に台所に立っていろんな料理を作ってきたから、というのが大きいのかもしれないなあ。


実際に出来たものを食べる場所は、食卓とか外のテラスとかになりますが、台所はできるまでの工程をあれこれやっていく作業が楽しい場所。


さらにいえば、わたしは草木染を台所で行うことも多い(単純に、外でやりたいけど場所がない)。大体は少量なのだけど、今はだいたい森から採ってきた植物を煮出しては「わあ、いい香り~」と、色よりも香りに驚き、感動することもある。最近では白樺のフレッシュな枝の香りに感激した。

色もほとんど予想できないので、布や糸を入れた瞬間の色、引き上げて媒染液に移した時の色、水洗いして干した後、そして乾いた後の色。

すべて変化する色の様子を、ほうほうと眺めながら、出来上がりを待つ時間もまた楽しいもんです。


それから、料理に戻ると、あれですね。発酵料理を仕込みすぎて、文字どおり実験室みたいになっていることもあります。

パンのサワードウはもちろん、ピクルスやザワークラウトを作っておくもので、空き瓶に色とりどりの野菜や粉が詰まっている様子は、見ているわけでワクワクするんだな。


台所は、暮らしの中で思いっきりクリエイティブになれる、ユニークな空間だったりします。


毎日立つ場所だからこそ、実用の美が大切

移動が多い人生ですが、台所まわりに必要なツールは事前に揃えるし、着いてから「あったほうが格段によい」と判断すれば、調達もします。

しかも、安物で済ませるのではなく、わりとちゃんと「使えるもの」を選ぶ。手仕事を重視したいものも多く、たとえばスプーンやヘラは、木製が中心です。なぜって、鍋肌を傷つけることなく、プラが溶けて口に入る心配もないから。質感や使い勝手も好き。


その一方で、たとえば空き瓶とか包装容器とか、普段の買い物で集まってしまうものを活用することも多い。なので、ほとんど毎回、荷物がめっちゃ少ない自分の中で、台所は「モノの比率」が高いエリアになりがちです。


でも台所って、ほとんどの人は毎日立つ場所でしょう。しかも、何かと動作の多いエリア。

だからこそ、実用にかなう道具があるとうれしいもんです。ほかの場面でも言えることだけど、台所アイテムは選ぶものによって消耗の具合がかなり異なるものでね。


で、実用的なものの多くは、やはり美しい。扱いやすくて、長持ちする台所道具は、経年変化とともに表情が変わると、また違った美しさが現れる。

油がしみて色が濃くなったり、キズが付いて表情が出たり。そういうこともあって、「実用の美」を基準に台所道具を選ぶと、長く大切に使えるものと出会えるし、わたしなんかはどこにでも持っていこうって思えます(もちろん、滞在期間や移動頻度にもよるが)。


だからいつも住む空間を選べるなら、活用できそうな台所か?というポイントを大切にしています。

次に暮らす場所は、もっと長く住んで、自分にベストな台所空間を整えたいです。最後にひとつ、小さな野望。


(トップの写真は、我が家の台所ではなく、先日訪れたリトアニアの野外博物館で撮りました)

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