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暮らしもしごとも、結局「人生のサイドプロジェクト」だねって話

リトアニアは、ようやく氷点下の日々が終わった様子。あちこちからボタボタと雪解けの雫がしたたる音が聞こえます。


気が付けば晴れの日は、太陽が顔を出している時間がかなり長くなっていました。

いまは、朝起きる(6時半)と、う~~っすら日の出の気配を感じられ、朝ごはんを食べている(7時半前後)と、窓からマジックアワーのうつくしい空模様を楽しめます。木々の隙間から、日の出も拝めます。


実はもう、これだけでハッピーなのですが、さあしごと!の時間になると、なかなか集中できない日もある。リサーチが楽しい反面、記事にするってなると「で、どうやってまとめる?」と悩んだり、あげくに取っ散らかして頭を抱えてしまったり。


こういうとき、もしかしたら、ライティングのしごとに集中しすぎて、肝心の「暮らし」にフォーカスできておらず、結果的に頭のスポンジが縮こまりすぎているのでは?と思うことが、よくあります。


ほら、前の記事も書きましたが「しごと」っていわば、暮らしの一部でしょう?だから、日々の暮らしなくしては、結局しごとも捗らないんだなあ、と思わされるのです。


だから、わたしのこの数年のはたらき方として、すべてが「人生のサイドプロジェクト」とという意識で、お金を得るための労働だけではなく、日々の作業も大切にしています。


たとえば、料理・掃除・草木染め・編み物・ダーニング・コンポストと向き合う時間、などなど。


1日中、リサーチやライティングだけに集中するんじゃなくて、自分の生活リズムの中に「しごと」をちょこちょこ挟む、という感覚が近いのでしょうか。

ライター業も、おいしいごはんを作るのも、道具や衣服を繕うのも、ぜ~んぶ同じ「しごと」です。


色々と考えてはいるものの、いまのところ手仕事は生業にするわけでなく、自分事として暮らしに取り入れることから始めています。要は、自分が体現せずして人には語れないよねって話で。

今はどちらかといえば、自分の言葉で多くの人に「考える」きっかけを与えたいし、そのライター業で発揮する能力を最大限にするために日々のごはんはおいしく作りたいし、なんならパンとかキムチとか塩こうじとかも(添加物たっぷりの既製品ではなく)自分で作りたいし、自分や大切な人のために長く・大切に着られる服や小物を作りたい。

結局、すべての根源はひとつ。自分や周りのためを想った「しごと」として、一生懸命考えて手を動かすので、結果的に全部がめっちゃ楽しいです。


わたしはちょっと(いや、かなり)飽き性なので、同じ作業をずっと続けるのが苦手。なので「これが終わったら続きをやるぞ!」みたいな一種のモチベーションにもなっています。

何より、昔から「お金<時間・経験」というタイプなので、自分や大切な人・場所での時間を確保して生きていきたいものですね。だって時間は有限だから。


今、リトアニアに来て4か月以上が経ちましたが、渡航とほぼ同時にはじめたライター業は、よきご縁にたくさん恵まれ、楽しく続けられています。

このご時世だからこそ、人との繋がりがほとんどオンラインになっている中で、クライアントさんとの波長・エネルギーのマッチングって、けっこう大切だよな、と今更思い直しているところです。


だから、極力自分が「やりたい」と思う案件を狙うようにしているし、逆にちょっと「この人と付き合い続けたらエネルギーを削がれそう」と思った場合は、わりと正直に違和感を打ち明けたうえで去るようにしています。

駆け出しにもほどがあり、選べる立場かよと思うことも(我ながら)ありますが、自分の一番の見方は自分。受けたからには高いパフォーマンスを発揮したいし、世の中の何かしらに役立てる!と自分が思えることがやりたいから。


なので、初期にガツッと営業?応募?して以来、また新たなエリアを開拓するエネルギーは向けられていないのですが、そろそろ考えたいな~と思っています。

特に、紙媒体にたくさんお世話になったと思っているので、雑誌や書籍にかかわるしごとができたら、うれしいな。言霊ってことで、書いてみる。


と、ちょっと話は逸れましたが、そうそう、わたしはあくまでも暮らしを見つめるために今ここにいて、自然と人との暮らし方を模索しているところなのです。

まだまだ世の中が開けないけれど、だからこそ自分の感覚を観察し、向き合う時間を大切にしながら、できることから一歩ずつ進んでいきたいと思います。


ああ、雫の音が心地よい。

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rie nochu|sumiyas
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