◎あなたも生きてた日の日記㊸ いきのこりたい身体たち
世田谷パブリックシアターの企画【ネクストジェネレーション】で上演する公演の稽古が佳境だ。タイトルは『凪げ、いきのこりら』。
劇場は「シアタートラム」と言って、これまで名だたる先輩たちが公演を行ってきた場所だ。今までよりもうんと規模が大きくなって、ひと頑張りどころかふた頑張り、ひゃく頑張りくらいしなければならない。
それはもちろん脚本のクオリティにおいても、演出方法においても、稽古場の作り方においてもそうだ。
今回は劇団員以外の役者さん(いわゆる客演さん)を三名お迎えして上演する。つまりほぼ初対面の方々と、半分は見知った劇団員という構成で稽古を行っている。
これを見て「いやあ~いばらの道を進むねえ」と、とある人が言った。「いばらの道…そうですねえ」と笑ってはいたものの、最近その言葉の意味をひしひしと感じている。
まず、客演さんとは、お互い前提条件の確認のようなところから始まる。
「これは、こうして進めたらいいんですか?」「つまりどんな演技を求めてるんですか?」とよく質問がある。
逐一質問してもらえることをありがたく感じながら、団体内で勝手に「こういう感じだよね」と共有されていた共通認識のようなものがあったことを知る。
うちは特に「とりあえず一回やってみましょう」方式でシーンを作ることが多く、「確かに【何を求められているか】をきちんと共有しないまま進めるのはよくないよな」と反省した。こんなことに改めて気づくほど、団体内の役者に甘えていたし、団体全体としても「この演出家はこういう方向性でやるだろうな」という空気に慣れきってしまっていたのだと思う。
「いばらの道」と言われたこの道が、確かに時間も手間もかかり大変なのだな…と納得しつつ、ただこういう機会がなければ気づけなかった団体や物語の側面がたくさんあって、とてもおもしろいと感じている。
そうやって信頼関係を少しずつ築いている最中ではあるものの、現段階で声を大にして言えることがある。それは、出演する役者さんたちが全員間違いなくおもしろいということだ。それぞれ身体性が全く異なっており、舞台の上で暴れまわる姿が抜群に輝いているのだ。
今回の舞台は「パワフルな」とか「走り回っている」とか「パワーのいる」とかいう形容の仕方をされているが、すべての文句が間違いなく当てはまっている。走る、飛ぶ、回る、叫ぶ、引きずる、引きずられる…。
演出席でその姿を見ながら、「ああ、生きているな!!」と思う。冷静にひとつひとつの演技を見守りながら、どこか泣きそうになることがある。
それは、舞台上で暴れている身体たちがあまりにもフィクションだからだ。
息を切らして、奔走する姿。喜び、怒り、悲しみを爆発させて去っていく身体たち。こんな身体は、日常生活からすれば恐ろしくフィクションだと思う。こんなの嘘だ。私たちは身体を丸めて歩き、多少のストレスは笑って流し、不満を表に出さないように生きている。全力で身体を使って感情を表現する、そんなことはめったにない。だからこそ、舞台上で「いきのこり」をかけて戦う姿がまぶしく見える。嘘だとわかっていても、その姿に感動する。
「生き残りたい!」と叫ぶ姿がフィクションに見えるなんて、こんなことってあるのだろうか。稽古から帰る時、劇場から駅に向かって歩く中で、これまで稽古場で見ていた身体と、外を歩く身体の違いに驚く。
そして、その背中に思う。がんばれ、いきのこりら。がんばろう、いきのこりら。
精いっぱい生きているノンフィクションの身体たちだって、きっといつかの誰かの生き残りなのだから。
(あなたも生きてた日の日記43 身体感覚について⑭)