鈴木 寛太/かんたはうす運営組合
ボランティアからぶどう栽培へ。新旧農家をつなぐ架け橋に
■プロフィール
東京出身の両親のもとで、田舎を持たずに育つ。東日本大震災が発生した2011年3月以降、進学先の神奈川大学のボランティアプログラムで、岩手県の沿岸地域や遠野市などを計7回訪問。
卒業後、神奈川県のIT企業に就職したのちも、岩手への想いが募る。そこで、花巻市で第1期目の地域おこし協力隊(イーハトーブ地域おこしプロジェクトチーム)の募集を知ってチャレンジ。
2015年8月の移住後は、3年にわたって大迫(おおはさま)地域を担当し、高齢化により減少が続くぶどう農家の支援活動を行う。最終年度の2018年5月、引退するぶどう農家のあとを継ぐことを決意し、現在は約1ヘクタールの農地を管理してワイン用と生食用の2種類を栽培。
2017年、任意組合の「かんたはうす運営組合」を立ち上げて、民泊事業も続けながら、大迫地区の地域活性化を支えている。
■農業を職業にした理由
大学時代に東日本大震災の被災地である岩手県各地で、ボランティア活動に参加したことがきっかけで、就職してからも岩手県のために役に立ちたいという思いを抱き続けていたことから、脱サラして、花巻市の地域おこし協力隊になることを決意。
地域おこし協力隊を卒業する3年目に、引退するぶどう農家から後継者を探して欲しいと相談され、自分自身で引き継ぐことを決めた。
大迫地区は、県内有数のぶどうの産地で、1960年代からワイン作りの歴史があるが、高齢化や担い手不足で産業の維持が危ぶまれていることから、自分がぶどう農家になることで、この先の新規就農者とベテラン農家をつなぐ架け橋になり、農家と苦楽を共にしようと考えたという。
2019年には酒類販売業免許を取得し、ワインの委託醸造も始めた。
■農業の魅力とは
地域おこし協力隊の時は、県内外から人を集めて盛り上げるために活動してきましたが、いざ、就農してみたら、3年も活動したのに農業のことを何もわかっていなかったと痛感しています。
大迫は戦後まもなく各地を襲ったカスリン・アイオン台風で大打撃を受けた際、復興の一環として、ぶどう栽培が始まった歴史を持つ町です。
オーストリアのワイン産地と姉妹都市を提携している関係から、日本で唯一、大迫で10数軒の農家が栽培している貴重なぶどう「ロースラー」を僕も作っていて、「KANTA WINE」の名前で醸造を委託しています。
友人の結婚披露宴で、多くの方に飲んでもらった時にはぶどう農家になって本当に良かったと感激しました。
ワインはビールや日本酒などと比べると、時間が経てば経つほど価値が上がる飲み物です。人口たった5,000人程度の大迫から、国際的に評価されるワインのぶどうを栽培することは、このうえもない誇りです。
■今後の展望
協力隊卒業後も、ぶどうを作りながら、花巻市の集落支援員として二足の草鞋を続けてきました。
独立後、引退する農家のあとつぎが見つかるまで、畑の維持管理を受け持つ役割も担っています。就農直後は僕も10アールからのスタートでしたが、委託管理分を加えると、農地面積は1ヘクタール以上に広がりました。
大迫地区にぶどう農家は約120軒おりますが、ほとんどが70〜80代。東京出身の僕は当初、方言で何を言われているのかまったく見当がつかず、新参者扱いされたことも一度や二度ではありません。
一方で、移住したことにより、岩手県各地にたくさんの仲間ができました。大迫地区では毎年のように、1〜2軒の農家が引退していますが、2015年以降、花巻で新規就農を希望する方は10数人程度に増えています。
彼らには僕自身の経験を伝え、アドバイスすることで、大迫のぶどう産業を未来につなげたいという夢があります。2019年には民泊事業も始めました。コロナ禍が終息したら、今度は首都圏の友人を花巻へ呼び寄せるイベントを計画したいと考えています。
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