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雲英(きら) 顕一/ありがとうファーム

法人名/農園名:株式会社ありがとうファーム
農園所在地:岐阜県飛騨市
就農年数:13年
生産品目:40種類の野菜(ミニトマト、トマト、イチゴ、小松菜、米、大豆)と6次化加工品の販売(農家の甘酒、トマトジュース、黒豆味噌)
HP:https://www.arigatoufarm-hidakami.com/

no.37

不登校や引きこもりの人が農業を通じて社会復帰できるよう役に立ちたい

■プロフィール

 東京の下町で生まれ育ち、法政大学経済学部を卒業後は、リゾートや住宅開発の会社でリゾートの企画開発等を担当。時代はバブル景気の真っ最中だったが、ある時、環境保護活動家の講演を聞いて以来、環境や飢餓、食糧廃棄の問題に関心を持つようになる。

 自分が食べるものは自分で栽培できるようになろうと、故・佐藤文彦氏が率いる千葉県香取市の「くりもと地球村」で週末農業を体験、1997年には田畑を借りて、無農薬で米と野菜作りを始める。

 2000年には千葉に移住して3年後に脱サラし、自然循環農法を学ぶために農事組合法人「旭愛農生産組合」に加入。研修を終えた2006年に香取市で独立し「ありがとうファーム」を設立。

 法人化した2年後の2011年、東日本大震災の発生で、岐阜県飛騨市に法人と共に移転。冷涼な奥飛騨の気候に合わせて、無農薬の米野菜と夏秋イチゴ栽培を始める。

 2012年3月、飛騨市認定農業者に認定。2013年には、NPO法人「アース アズ マザー岐阜」に参加し、生活困窮者を対象にした就労準備支援事業に力を入れるようになった。

 2015年、飛騨市有機農業推進協議会をNPO主導で設立して会長に就任。この年、6次産業化に着手して甘酒、手前味噌・トマトジュースなどの製造販売を開始。2020年〜2022年「オーガニック・エコフェスタ」栄養価コンテストの小松菜部門で、3年連続最優秀賞、2020年には総合グランプリを受賞。

■農業を職業にした理由

 バブル好景気の時代に大学を卒業し、大手不動産企業でリゾート開発などを手掛けていたが、環境保護活動家の講演で、内戦下のスーダンで飢餓寸前の少女がハゲワシに狙われた瞬間を捉えた写真『ハゲワシと少女』を見て強い衝撃を受ける。

 以来、環境や食糧飢餓、フードロスなどの問題に強く関心を持つようになって、次第に食べるものも無農薬や低農薬で作られた食材を選ぶようになったが、千葉県香取市の「くりもと地球村」で週末農業を体験して以来、地球村周辺で畑を借りて無農薬で米と野菜を作るようになる。

 2003年には就農するために脱サラし、千葉県の農業組合法人に入って3年にわたって循環農法の研修を受けながら、ADHDなど発達障がいがある子供向けの農業体験や食育教室などを開催。

 3年間の研修を経て、2006年に独立し「ありがとうファーム」を設立。2009年には規模拡大のために法人化したが、2011年3月11日の東日本大震災の発生を受けて、放射線による環境汚染を危惧して岐阜県飛騨市に移転。

 冷涼な奥飛騨の気候に合わせて、無農薬の多品目野菜や夏秋イチゴの栽培に挑戦するとともに、不登校や引きこもりなどが原因の生活困窮者が、社会的に自立・就職できるよう支援するNPO活動に力を入れるようになった。

■農業の魅力とは

 転機となったのは、「アース アズ マザー」との出会いです。飛騨に移住した当初、「こんな田舎に来てくれるなんて…」と歓迎されたこともあり、私のなかにはどこかで驕りがあったように思います。

 当時は「お金を稼ぐ」ことが最優先でしたが、人間関係などで壁にぶつかることが多かった時期に、アースと出会ったことで、私には「食べる人」や「作物」への感謝の気持ちが足りなかったことに気付かされました。

 今では、作物への接し方も変わり、こちらが愛情をかけた分だけ応えてくれるようになりました。土作りは、①物理性、②化学性、③微生物性の3要素が重要ですが、水はけ等の物理性が整っていなければ、良い作物はできません。人の手が加わることでより良いものができるのです。

 現在は主に、NPOにて不登校や引きこもりなど事情のある方々が、社会復帰できるよう、農業を活用した就労準備支援のお手伝いをさせていただいております。

 一般的に農福連携は、障がい者が農業分野で活躍することだと考えられていますが、私たちは障碍者手帳を持たず、長年引きこもり生活を続けてきた方々を対象としています。

 農の営みを通じて、人づくり、仲間づくりもさせて頂いています。縄文時代の遺跡が残る飛騨地域だからこそ、日本人が太古から持っている助け合いの心が生きているのです。

■今後の展望

 千葉県では新規就農のため、条件の良い農地に恵まれず、また年間を通じて休みなく農業をしなければなりませんでしたが、飛騨では、農地や住居(古民家)にも恵まれ、豪雪地帯なので冬は農業ができなくなる点も生活にメリハリが生まれて、性格に合っています。

 しかし飛騨市は、近い将来、子供を産める世代の女性が5割以下に減少する「消滅可能都市」のひとつに数えられるほど、少子化や高齢化による人口減少が深刻です。

 ですが、広葉樹の森林が作った土壌豊かな飛騨には、縄文時代の遺跡が多く残り、先祖代々、同じ土地で林業や農業をしてきた歴史があります。未来の子どもたちのためにも、縄文由来のこの土地の自然や地域社会を絶対に残したい…。

 「アース アズ マザー」の活動を通じて、種籾から無農薬の米作り等をお伝えしつつ、例えば大豆の生産から豆腐屋さん、無農薬の農産物栽培やそこから新たな価値を創造してゆく生産者や若い人が就農・起業できるようなお手伝いをしていきたいと思います。

 無農薬の農業とさまざまな事情のある方に優しい、福祉を軸にした地域共生モデルコミュニティ作りが、飛騨から全国に広がって欲しいと思っています。

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