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漫画『累』を読んで自分と重ねた話【ネタバレ無】

松浦だるまさん作の累(全14巻)を電子書籍で読んだ、それは過去一のスピードで買い込み読んだ。読み終わってみれば世界観に異常な飲み込まれ方をしたと思うほどだ。

主人公のかさねは醜女で幼い頃からいじめの標的であった。その拍車をかけた理由というのも、彼女の母親が絶世の美女で最高の女優と謳われた淵透世であったことだ。美しい母から生まれた醜い子供、正にみにくいアヒルの子。そんなかさねはあることをきっかけに舞台の世界へ足を踏み入れることになる。そこからかさねが持つ母の形見であり、このストーリーの要となる「口紅」が出てくるのだが、そのことについては置いておくことにする。とりあえず読んだらすぐわかるから読んで。

舞台に立つ俳優は演劇において間違いなく「花形」であるだろう。そしてその姿は誰が見ても「花」であるべきかもしれない。全ての人の視線を集めるその花は美しく、可憐で魅力的であることが求められるかもしれない。では「花」出ない私、美しくない私は「花形」に相応しくないのか…!悔しい…!みたいな。読んでてそんな感情が湧き上がるし、それわかるなぁと思わされる感じがした。
私も今現在趣味程度で舞台に立つことがある、演劇ではないけれど間違いなく「顔」と呼ばれる位置で活動している。「顔」として活動できるほど私は間違いなく美しくないが、私の母は自他共に認める美人である。そんな母から生まれた私は自分の醜さを何度も嘆きながら、自分で自分を蔑みながら生きてきた。舞台に立つことは幼い頃から大好きだった、でもいつも脇役というか後ろに引っ込んでしまっていたような気がする。顔さえ美しければあの花形の位置にいれたかな…なんて考えながら花形の位置に立つあの子の大きな目に高い鼻、綺麗なロングの黒髪に何度も憧れた。そんな私がある時些細なきっかけから舞台のセンターに立って「顔」として活動し始めることになる。今考えれば自信だけが空回りした醜女がセンターでスポットライトを浴びていたのが情けなくて情けなくて仕方ないし、最初の最初はなんだあいつみたいな目で見られてたと思う。恥ずかしかった。めちゃくちゃ恥ずかしかったし、やめようと思った。でも友達はいいじゃん!と囃し立ててくれた。その囃し立てはありがたかったし、その声が大きくなるにつれて舞台に立つ機会がだんだん増えた。完全に井の中の蛙だったけれど楽しかった。醜女が輝けた瞬間だったし、これが私の才能だ!と自負するようになった。
嬉々として私はより大きな(と言っても小さな湖程度の場所)で活動するようになる。変わらぬ容姿と自負する才能を持って舞台に立つようになる。さぁ湖でやる初めての舞台はどうだっただろう。恥ずかしかった。自分の才能には自信があったのに容姿のせいでとても恥ずかしかった。みんなから見られるのが怖かった、可愛くない私が恥ずかしかった。周りと比較して恥ずかしかった。もうあの場所に立てないとさえ思った。容姿はそれくらい大事だと思わされた。変わらなければ注目されないとも思った。結局美醜に囚われていた。自信を持って歌うあの人はあんなに可愛いのに私はどうして醜いのだろうと思った。今は「整形メイク」がある世の中だから、いろんな動画やサイトを見て技術を学んで顔をすっかり変えることである程度の「花」に化けることができるからなんとか舞台に立つことをこなせるようになった。
そんな化けて舞台に立つ私と主人公のかさねがとても重なった。そして舞台に立つ私と「私」の乖離にも気付いてあげられた。そしたらどうだろう、目を向けた先にいた「私」はボロボロだった。舞台で輝く化けた私が大好きで、「私」を愛せていないことに気づいた。あとは私の普段の記事を見てもらえればわかると思うがこのザマである。

『累』は美醜に囚われる人、舞台に立つ人、名声が欲しい人、誰か・何かに執着がある人、トラウマを持つ人。どれかの登場人物に自己を投影できてしまう漫画だと感じるし、実際私は投影したことで深く世界観にのめり込めたのだと思う。かさねと私を重ねながら、この累の世界を悲観しながら、何処かで救いを求めた自分がいる。彼女は最期に救われただろうか?
どうか最後までこの喜劇で悲劇なストーリーを読んでみて欲しい、14巻読み終えた貴方の中で何かが変わるかもしれないから。

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