見出し画像

【ゲームの話】「24時間TAC-CON in 軽井沢」の回想

 1987年3月、史上最大のゲームコンベンションが長野県軽井沢で開かれました。「24時間TAC-CON in 軽井沢'87」です。

TACTICS誌1987年3月号の予告記事

 「ホビージャパン」、「エポック」、「ツクダ」という、当時の国産ボードゲームの大手メーカー三社が共催で、百人規模で一泊二日、軽井沢セミナーハウスを借り切って行われました。

TACTICS誌1987年6月号のレポート記事

メインイベント

 TACTICS誌1987年6月号のレポート記事にタイムテーブルが載っており、メインイベントとして「ライヴ・ロールプレイゲーム」と「ライヴ・ウォーゲーム」が書かれています。

Time Table拡大

 筆者はその両方に参加したのですが、前者は「怪物との戦闘要素がある謎解きゲーム」、後者は「マス目のない人間将棋」のようなイベントでした。

 今の"ニコニコ超会議"のような熱気(と狂気)と言えば伝わりますかね?(そもそもすごい時間帯に予定されている)

EWE

 筆者は当時中学2年生。もちろん最年少の参加者で、「ボードゲームを始めたきっかけは何?」と訊かれたので「EWE(*)です」と(正直に)答えました。
 するとまわりから、「おおーっ」というどよめきが返ってきたことを鮮明に覚えています。
 おそらく今なら「デジタル・ネイティブ世代がついに来た!」と感じるのと同じようなインパクトだったのだと想像します。

(*) エポック・ウォーゲーム・エレクトロニクス(参考:エポック社 - Wikipedia)。おなじみの6面体のサイコロの代わりに「赤色LED6個のうち1個がランダムに点灯する電子サイコロ」を採用し、マグネット将棋のように「金属製の盤」に「マグネット入りプラスチック駒」が張り付き、マニュアルはただの1枚ペラの厚紙、などの斬新なコンポーネントで話題を呼んだ。

筆者の記憶+Wikipediaによる補足

 非常に楽しい2日間ではありましたが、残念なこともありました。
 筆者は同級生と2名での参加で、私たちは東京集合ではなく「L特急しなの」と国鉄在来線を乗り継いで、会場までは一緒に到着していました。

 しかし、途中で「何か違う」と感じた彼が「名古屋に帰る」と言い出し、一日目のうちに帰路についてしまったのです。
 私は一人で会場に残り、前述の深夜イベントなどに参加したという結末です。

ボードゲームの対戦相手問題

 この"事件"は、"ボードゲームの対戦相手を見つけるのが難しい"という問題との関連で語ることができます。
 彼だけでなく、実家の向かいに住んでいた別の友人は、EWEでは相手をしてくれていましたが、紙製のマップとコマという"普通の"ボードゲームになると相手をしてくれなくなりました。

 初心者を引き入れるために、ルール読み合わせから付き合わせるわけにはいかない。
 こうして、ルールを完ぺきに理解してからざっくり教える、あるいはチュートリアルを演じる、というスキルが身についたのだと考えます。

 ボードゲームの対戦相手不足の問題は、2000年代に入ると別の展開を見せました。

 カードをランダムに引くなど運の要素が強いゲームや、勝利条件がプレイヤーによって違うような非対称な条件のゲーム。
 このようなゲームであれば、初心者が熟練者の中に交じっても勝てるチャンスが高い。
 つまり、ユーロ系ゲームユーロゲーム - Wikipedia)が市場を席捲するようになったのです。

いいなと思ったら応援しよう!

町田 憲昭(歴史研究家/アナログゲーム評論家)
貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございました。有意義な時間と感じて頂けたら嬉しいです。また別の記事を用意してお待ちしたいと思います。

この記事が参加している募集