見出し画像

【歴史の話】【お城めぐり】平成レトロのお城写真を発掘した (中)四国編

 前回に引き続き、ひと昔前に撮影したお城の写真の紹介です。
 今回は、四国地方の歴史の魅力に触れてみましょう。

 前回の記事はこちら

  現存天守十二城のうち四つが四国に集中しているということで、一回の旅行でそれらを全て回ろうと考える城好きは多いと思います。

 筆者も一度それを実行していて、そのときの写真たちになります。


丸亀城(香川県)

 前回の記事で、アナログ写真時代は撮影枚数がとても少ないと書きました。このときもそうですね。

 同じ日に行った金毘羅さん(金刀比羅宮)が下の2枚。丸亀城の写真は、なんと上に貼った1枚だけです(苦笑)

 なお、のちに四国東部を訪れたときに、徳島、高松などとともに丸亀にも再度立ち寄りました。
 そのときはもうデジタルカメラだったので、石垣などを含めて多数撮影したはずです。(その写真は残念ながら行方不明)

今治城(愛媛県)

 今治城は現存天守ではないものの、藤堂高虎とうどう たかとらが設計した、見応えがある城です。

伊予松山城(愛媛県)

 松山という都会にある城ですが、本丸は小高い山の上にあり、ふもとから見上げることができる城です。

 この写真の中に本木雅弘さん、阿部寛さん、香川照之さんが並んで入れば、そのまま「坂の上の雲」のポスターになりそうです。

 それから、改修工事着工前の道後温泉本館。

あと、正岡子規ゆかりの「子規堂」にも行っていたようです。

宇和島城(愛媛県)

 宇和島城は小ぶりな城という印象でした。

 右の肖像画は幕末の四賢侯のひとり、伊達宗城だて むねなりです。

 ここで、ひとつの疑問が発生しました。他の城の写真と比べて画像がきれいすぎるのです。

 この理由は簡単で、つまりこれらの写真はデジカメで撮った写真なのです。
 jpegファイルにデジカメ特有の連番ファイル名がついていて、さらにファイルのプロパティを見ると撮影日が「2000年5月3日」であることが分かる。

 撮ったカメラまで分かります。東芝のデジタルカメラ、アレグレット M60(PDR-M60)ですね。

高知城(高知県)

 以前こちらの記事で、「高知城は本丸の外から眺めただけだった」と書きました。そのときの写真です。

 桂浜に行っている時間があれば本丸に入れよ、という話ですよね(苦笑)

アナログ・デジタル混在の謎解き

 本記事の冒頭で、これらの城は一回の旅行で全て回ったと書きました。

 筆者は、丸亀や今治・松山は複数回訪れたので、アナログとデジタルの写真を両方持っていてもおかしくはない。
 しかし、宇和島と高知はともに一度しか訪れていないので、同じときに同じカメラで写真を撮ったと思い込んでいました。

 では、なぜアナログ写真とデジタル写真が混在しているのか。
(宇和島城の写真がデジタルであるほか、よく見ると松山の子規堂もデジタルです。)

 考えられるシナリオは一つしかありません。

 アナログカメラとデジタルカメラの両方を持っていった。

 当時はフラッシュメモリの集積度が今ほど高くなく、スマートメディアの容量が小さかったと記憶しています。
 当然、デジタルカメラで撮影できる枚数はそれほどではなく、アナログカメラのフィルムを使い切ったときの保険のつもりで持っていったのではないか。
(仮にPDR-M60に同梱されていたらしい4MBのスマートメディアをそのまま使ったとしたら、JPEGファイルの平均サイズが120KBくらいなので、計算すると35枚くらいとなる。)

 ただし、旅程としてはこの記事の順番通り(丸亀 -> 今治 -> 松山 -> 宇和島 -> 高知)だったはずなので、最後の高知でなぜまたアナログに戻ったのかという疑問はある。

 それはおそらく、こういうことだと想像します。

 松山の時点でアナログのフィルムが残り数枚となり、宇和島では足りなくなるのでデジタルカメラに切り替えた。
 そして高知は最終日なので、またアナログカメラに戻して、フィルムを使い切って終わった。

 そうだとしても、デジタルの方の容量がまだ残っていたら、高知でもっと写真が撮れたはずなのにね・・・(苦笑)

貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございました。有意義な時間と感じて頂けたら嬉しいです。また別の記事を用意してお待ちしたいと思います。