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【歴史の話】歴史との向き合い方

 アマチュアの歴史愛好家である筆者は、プロの歴史学者の先生方のことは本当に尊敬しています。
 ただ、地上波のバラエティ番組などにコメンテーターとして出演されるときに、「創作物をルーツにした俗説」を「面白エピソード」として肯定してしまう先生がいらっしゃるのも事実です。

 創作された話が史実であるかのように誤解されて世の中に広まる愚挙の後押しをしてしまうことに、もっと危機感を持ってほしいと、切に願います。
(誤解のないように。出演されること自体は構わないのです。エンタメに寄りすぎることを抑制する人として機能して頂きたいだけです。)

 さらに言えば、東日流外三郡誌 - Wikipediaの騒動が典型的ですが、事実を積み上げることよりも自説にこだわることを大切にされる先生も、中にはいらっしゃるわけです。


エンジニアと歴史の相性について

 それゆえに、門外漢が歴史を研究することに意義を見出すことができます。
 特にエンジニアは、実証実験や自然法則による事実確認の積み上げで仮説を検証する感覚が身についている。

 筆者が知る限りなのでほんの一部ですが、例えばこのような人達がいます。

 これも誤解のないように。彼らの説が無条件で正しいと主張しているわけではないのです。
 「前提条件を疑わない決めつけや、結論ありきの論理の飛躍が、少ない傾向がある」という意味です。

創作物をルーツにした俗説とは何か

 「創作物をルーツにした俗説を面白エピソードとして肯定してしまう」の好例としては、森成利 - Wikipediaがあります。
 津山藩の初代藩主森忠政もり ただまさの実兄で、織田信長おだ のぶながの側近。
 本能寺で戦死したことで知られる、人気の戦国武将です。

 彼は『信長公記しんちょうこうき』で「森乱」と記録されていたのですが、今では「森蘭丸」と呼ばれることがほとんどになっています。
 その経緯としては、『惟任退治記これとうたいじき』に蘭丸と書かれて以降、様々な軍記物や歴史小説で補強されたというのが有力です。

 つまりは、「信長様は偉い。その信長様を殺した光秀は悪い。その光秀を倒した秀吉は正義の味方である」という、豊臣秀吉とよとみ ひでよしのイメージ戦略
 そのコンセプトに沿って、信長の側近である「森乱」も「蘭」に書き換えられて、美化された。
 そのイメージから生まれた、「美少年であった」「信長とはボーイズラブだった」などのエピソードは、全て後付けにすぎないはずなのです。

 逆の例では、真田丸 (NHK大河ドラマ) - Wikipediaの脚本家、三谷幸喜みたに こうき。正直に申し上げて、ドラマとしては1985年度に放送された真田太平記 (テレビドラマ) - Wikipediaの方が数段面白かったのですが、それは本題から外れるので置いておきます。
 「真田太平記」で草刈正雄くさかり まさおが演じたのは、真田幸村でした。
 今回「真田丸」で堺雅人が演じた役名は、ご存じの通り、真田信繁なのです。
 ただし、「真田信繁(幸村)」とカッコが付いている。いつの日かカッコ内がなくなる日が来ると信じて待ちたいと思います。

#「北条早雲」ではなく「伊勢宗瑞」と呼ぶ人も増えてほしい・・・

自分ルール

 アマチュアがそこまでこだわる必要はないはずですが、一応自分自身に(ゆるく?)課しているルールがあるので、紹介しておきます。

  • 実在しない人物を歴史上の人物として語らない

    • 例:猿飛佐助さるとび さすけ貂蝉ちょうせん

  • 正しい名前で呼ぶ

    • 例:x秋山信友のぶとも => o虎繁とらしげ、x劉備玄徳 => o劉備りゅうび(または、劉玄徳げんとく

  • 正しい文字で表記する

    • 例:x大阪夏の陣 => o大坂夏の陣、x夏候淵・夏候惇=> o夏侯淵かこうえん夏侯惇かこうとん


貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございました。有意義な時間と感じて頂けたら嬉しいです。また別の記事を用意してお待ちしたいと思います。