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仮初の安全と声色の呪縛_19

(前話はこちらから_19/20)


「じゃあ、行きましょう」
 太田はいたって普通に振る舞っているが、僕はけっこう気まずかった。病院で感情が昂っていたのは間違いないのだが、勢いで太田に連絡して祖母の家に一緒に言ってほしいなんて軽々しく言ってしまったのだ。しかも以前、若い祖母から『人の家でデートするのってどんな気分なの』ということも言われていた。もちろん、今日もデートではないことは自分の心の中で整理はできているのだが、どうしても頭をよぎってしまう。
「早坂、ずいぶん強引なお誘いだったよね」
「今、ちょうどその気まずさを考えていたところだから言わないでほしい」
 太田が僕の前だと普通でいられるように、僕は太田の前だと素直になれるようだ。太田は僕の発言を聞いて、くすくすと笑うだけでそれ以上追求はしてこなかった。
「私は嬉しいけどね」
 驚いて僕が太田の顔を見ると…
「若い頃のおばあ様に会えるのがね」
 太田がこういうヤツであることを最近忘れていた。

 まだ、祖母の家の庭整備を始めていないため、庭の様子は変わり果ててしまった。美しいというよりかは、怖いという言葉がよく似合う庭になってしまっている。もはや庭ではなく、野生という言葉がよく似合うスペースだ。
「これはいよいよ、ちゃんと整備しないとだね」
「そうだね。祖母も悲しんでしまう。昔のアルバムとかを見れば、庭のベストな状態も分かるかもしれない。今日は庭が目的ではないけど…」
 太田が頷く
「今日も、おばあ様に会えるとよいね」

 僕はいつも通り、おもちゃのような鍵を回して扉を開けた。今日はいつもと空気が違った。最近、母が祖母の家に頻繁にきて風を通してくれているらしい。久遠先生のアドバイスを母なりに解釈して、行動に移しているようだ。ここは母にとっても大切な場所なのだ。
「今日は窓を開けなくてもよさそうだね」
 僕はそう言って、台所でお湯を沸かしてお茶を作ることにした。太田は今日はどの湯呑みを使うか吟味している。たくさんの食器の管理は大変だろうが、こういう時に楽しみを提供できることを祖母は知っているのだろう。
 どうやら太田は叔母の湯呑みを使うと決めたようだ。僕はその湯呑みにお茶を入れた。
「どうしたの?今日はお茶を飲まないの」
「今日は麦茶にしようかなと思って」
 僕は冷蔵庫から麦茶をとってグラスに注いだ。祖母と話す時はいつも麦茶だった。お茶は太田が飲んでくれるから、僕はいつも通りのものを飲む。季節なんて関係ない。

 縁側の椅子には祖母が座っていた。入院している祖母より少しだけ若く見える。
「慶…ちゃん?」
 祖母は僕を見てそう言った。
「慶太です」
「なんか、私が知っている慶ちゃんよりだいぶ大きいみたいね。そちらのお嬢さんは」
「友人の太田綾さん」
 太田は祖母に会釈した。
「素敵な湯呑みがたくさんあって選ぶのに苦労しました。今日はこれを借りています。とてもかわいいです」
「だいぶ昔だけど、綾さんに会ったことがある気がしてきたわ。そんな訳ないんだけど不思議な感覚ね」
「私もです。でもその感覚が二人の中にあれば、私たちは会ったことがあるのだと思いますよ」
「綾さんの言う通りね。自分の感覚を信じないとダメね」
 祖母は嬉しそうに話をしている。
「随分とお庭が荒れてしまったの…」
 祖母は悲しい顔をして、太田は気まずそうだ。もし祖母の姿の変化がそのまま経過時間だとしたら、随分長いこと庭が荒れてしまっていることになる。
「何ともあやふやなんだけど、お庭を見る限り今はきっと冬よね。あそこの空間が上手に埋められて木々の長さを整えれば、すぐにもとの綺麗なお庭になる気がするのよね。まあ、これはこれでみんな元気に育っているから好きになれそうだけど」
 太田が庭の写真を見た時と同じことを祖母が言っている。

「大きくなった慶ちゃんはあまりお話しないのね。私が知っている慶ちゃんはとても良くお話するし、自分でなんでも決める子なんだけど」
 祖母と太田が僕に目を向ける。何を話したらよいのか分からず、僕は必死に正解を探した。
「慶ちゃん。今、正解を探したでしょ」
 祖母は真剣な眼差しで僕を見つめ、太田はなぜか祖母派のようで腕を組みながら大きく頷いている。
「そうかもしれない。おばあちゃんがどう答えてほしいかを考えていたよ」
「疲れるから、やめた方が良い」
 今度は太田が僕を攻めてくる。そして祖母は腕を組んで大きく頷いている。
「全部が全部そうしなさいってことじゃないからね。でも誰も答えを知らないことなんて山ほどあると思わない。さっきの私の話だって、質問ではなく独り言かもしれないし、私だって正解を知らないわ」
「ずっと思っていたことがあるの。早坂は洞察力が高過ぎると思う。もっと言うと耳が良過ぎる気がする」
「あら、綾さん鋭いわね。慶ちゃんは耳がすごく良いの。私と同じようにね。あと綾さん、もしこれからも慶ちゃんと仲良くしてくれるなら、早坂なんて呼ばずに慶太と呼んであげて。だって、とても素敵な名前でしょ」
「そうですね。じゃあ早速。慶太はまるで人の声色に呪われて、縛られているように見える」
 太田に慶太と呼ばれると背中がむず痒くなる。すごく嬉しいのだが、うまく消化できない。
「声色の呪縛ね」
 祖母が静かに呟く。
「声色の呪縛」
 太田と僕が同時に言う。
 僕は呪われていたのか。『声色の呪縛』と口に出した瞬間にすごく心が軽くなった。

「おばあちゃん、きっと僕らにはもう時間がないと思う」
 祖母はお茶を飲みながら頷く。
「だから、これだけは伝えたい。僕はおばあちゃんがこの世にいたことをずっと忘れたくない。だけどきっと忘れてしまうと思う。僕がおばあちゃんくらいの年齢になった頃にはきっと何も覚えていない可能性だってある。だけど、僕の言動や行動はおばあちゃんに教えてもらったもので成り立っている。これは他の人にも言えることだと思う。だから心配しないでほしい」
 祖母は満足そうに僕の話を聞いてくれた。
「やっぱり、おしゃべりな慶ちゃんの方が素敵ね。青臭いけど、真っ直ぐで、正直で」
「慶太は、自分の言葉で話している時が一番かっこいい」
 祖母と太田の謎のシンクロにも慣れてきた。年齢が近かったら、きっと親友になっていたかもしれない。
 現実が何か変わった訳ではない。でも、自分の気持ちを祖母に素直に伝えられた。自分の気持ちを優先できたのは、何年振りのことだろう。これで祖母の心残りが一つ減ってくれていたらと願ってしまう。
「おばあちゃん、そろそろ帰るね」
「おばあ様、ありがとうございました」
「はいはい。会いにきてくれてありがとうね。慶ちゃん、綾さんのことを大切にしなさい」
 僕は太田のことを見る。
「慶太、私のことを大切しないとダメだよ」
 僕は少し考える…。自分の気持ちに正直に。
「そうだね。太田を大切にするよ」
 祖母と太田はその僕の発言に大笑いだった。このまま時間が止まってほしい。祖母がいて、太田がいて。こんな和やかな時間が流れ場所が僕の未来にあるのだろうか。そんなことを思いながら僕らは祖母の家を後にした。縁側を見ても祖母の姿はもうなかった。

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