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技術の発展を空想の力で待ちわびている子ども像への転換あるいは回帰
個人の感覚の転換や回帰の階層で人のあり方を変える。
なぜテクノロジーの教育をするのか。
その問いに対する一つのひらめきとして、「技術の発展を最後尾から追い、押さえつけられながら眺める子ども」像から、「技術の発展を空想の力で待ちわびている子ども」像への転換あるいは回帰が必要だと考える。
GIGAスクール構想によって学校現場にICTが急速に導入された結果、子どもや教師が「タスク処理感」や「業務感」に追われ、「テクノロジーをどう使いこなすか」よりも「使わされるまま」になりがちである。
そこには、技術を創造的に活用しようとする余白が狭まり、子どもが単なる受け手にとどまってしまうという問題が潜んでいる。
しかし本来、テクノロジーは子どもの空想を広げ、未知の未来に思いを馳せるための強力な補助線となり得る。
「やりたいこと」を突き詰める中で、「ここをこうするともっと便利だ」「こんな仕組みがあれば面白い」という気づきが自然と生まれ、その結果として最適化や効率化が副産物的に起きる。ところが、はじめから“効率”を目的に据えてしまうと、偶然の発見や寄り道を含む本来の探究過程が短絡化され、学びの主体性や創造性を損ねる危険がある。
「いいこと思いついた!」という瞬間にこそ注目したい。
これは子どもの内発的な意欲だけで生まれるのではなく、環境やテクノロジーとの相互作用が引き起こす中動態的な学びの形でもある。
人は受動的・能動的のいずれかに単純に区分される存在ではなく、環境や道具が働きかけてくることで自然と想像力を刺激され、「気づけば自分の中から“やってみたい”という思いが湧いてきた」という状態に至る。
そうしたプロセスを豊かにするには、子どもが常に「何をやりたいか」を問いつつ、偶然の出合いや回り道を通じて新しい発見を得られる場づくりが不可欠となる。
ここで重要なのは、子どもが自分の興味を出発点にするだけではなく、思わぬものとの出会いを経験する機会もあることだ。
自分が想像していた範囲を越えた概念や現象、人とのつながりに触れることで、新たな関心や問いが生まれる。
しかも、ただ「自由にやらせる」だけではなく、「どのように未知や他者との接点を見つけ、そこからアイデアを膨らませるか」を学ぶ場であることも大切である。
教師やカリキュラムのデザインが緩やかな仕掛けを用意し、子どもたちが未知との「出会いを楽しむ姿勢」を育めるよう支援することが求められる。
テクノロジー教育の本質は、そうした空想の力を解き放つところにある。
押しつけられた学習手順をなぞるだけではなく、子ども自身が思わぬきっかけや課題との出会いを通じて「まだ実現されていない未来」を待ちわび、その実現を試みる――この営みこそが、子どもを「技術の後ろをついて回る存在」ではなく、「技術の進歩をわくわくしながら迎え、自ら使いこなす主体」へと導く。
一人ひとりの興味や偶然の出合いを尊重しながら、テクノロジーとの対話の中で「いいこと思いついた!」と声を上げる瞬間を数多くつくること。それがこれからの学校現場において求められる大きな転換であると考える。