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寫残録_172 レンズ沼からの生還

レンズ沼から抜け出したと感じた、ひとり言


少し前まで

カメラも好きだが、レンズも好き。
気になると、衝動的にレンズを買っていた。
また、いいレンズは手元にないとダメであった。

Nikonがメインである。
ボディはD4sとD5を好んで使っていた。
レンズも14-24mm、24-70mm、70-200mmの大三元をはじめ、コレと思ったレンズを買わずにはいられないでいた。
オールドレンズも同じ。
Fマウント時代は特にそうだった。


Zの時代になり

Z6を購入して、レンズ沼から抜け出そうと思った。
思ったが、Z6Ⅱに乗り換え、Z9も一度はポチッと。。。
しかし、キャンセル。
また繰り返してしまうと、買わずに踏みとどまった。
そんなとき、D4sとD5を手放し、
大三元たちともお別れした。


現在は

デジタルの一眼レフは、Dfのみ。
ミラーレス一眼は、Z8、Zf、Zfc。
レンズは、いまだ大三元には手を出さずにいられている。
ほかにGRⅢ、GRⅢxのデジタル機とフィルムカメラたち。
この一年ほどで、ボディもレンズも整理してきた。


その要因は なぜ

撮ることに重きをおけるようになったことが一番か。
買うことより撮ること。

レンズによる描写など、レンズによる違い、その差があることは否定しない。
しないが、自分の技術に見合っているのかと、問えるようになった。
限られたカメラ・レンズのなかであっても、
自分の写真を撮ることが楽しくなった。


いまでも

店舗でいまでも、50mmや85mmの1.2、135mm、大三元をみて触ってしまう。
欲しいという衝動に、何度も襲われるときもある。
“どれか1本だけなら“と、甘い考えもよぎる。

そんなとき、一度踏みとどまり、自分の写真をみる。
この間の写真を過去に遡って。
“まだまだ、全然だな“と思う。また、逆に好きな写真をみつけ、“このカメラとレンズでコレが撮れたのだから“と、振り返る。


結局

答えはないが、買う、買わないに関わらず、自分が納得できればそれでいいだけ。
それだけだと。
思えるようになった。

写真を楽しめればいいのだ。
機材好きであっても、持っている機材を愛でればいい。
気持ちの持ちかたで、沼から少し離れられる。
そしてその分、撮ることに楽しみがシフトした。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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