物わかりがよすぎる大人になってしまって、「泣き場所」を失っていませんか?
あなたは今まで何度泣きたい夜を超えてきましたか?
なんとなく、大人になってから泣くことって難しくなってきた気がします。
人前で泣くのはもちろんのこと、一人でもなかなか泣けない、というかまずなかなか一人になれる時間も場所もなくて、ひとりで泣いていい「泣き場所」がないんですよね。
でも大人になってからの方がどうにもできない現実とかを目の当たりにして、辛かったり苦しいことも多いと思う。
言われもない誤解を受けたり、本当はそれ全然違うのに!って思っても反論する方が子供っぽく思われてしまって結局損をしちゃったり…
評価されなくちゃとか、みんなに置いてかれないようにしなきゃとか、やらなきゃいけないことがたくさんあるのに上手くできなくて、でも隣を見ると要領よくこなしてる人を見て焦ったり、羨ましくなったり…
この日々が何に繋がっているのかなんてわからなくなるくらい、毎日パンパンに膨らんだ焦りや不安を抱えていっぱいいっぱいになっているのに、顔では平気なふりして、みんなの期待に応えたくてみんなを心配させたくなくて、つい「大丈夫」って言って無理して笑ってしまう。
そんな、誰かに「助けて」って言えない「物わかりのいい大人」がなんと多いことだろう。
きっとその人達は「きついけど、そんなことできないって言ったら我儘になっちゃうかな。相手の気持ちもわかるし…。言ってもどうせ無駄かなぁ…だったら言わない方がいいし…」なんてある程度相手の反応も分っちゃう。
だからこそ小さい頃みたいに「嫌だ」とか「悲しい」「痛い」「辛い」とか思ってもその感情だけで動けなくなっちゃって、相手の気持ちが分かるからこそ色んなことが言えない。言わない。しょうがないから自分が我慢すればいいやってなんとか自分の心の中で落とし所を探して、仕方がないからと自分を納得させようとする。
本当は辛いのに。
本物は悲しいのに。
本当はすぐにでも泣きたいのに。
でも、グッと我慢。
だってもう大人なんだから。
大人は簡単には泣いちゃいけないんだから。
そうやって、いつしか心が空っぽになる。
数年前に流行った涙活は、そんなどこでも泣けない、「泣き場所がない大人」に泣き場所を作ってくれたような気がした。
あなたが思いっきり泣ける場所はどこですか?
涙も一緒に洗い流してくれるお風呂場?
仕事場から家に辿り着くまでの車の中?
それとも自分しか知らないとっておきの場所?
今、あなたが思い浮かべた「泣き場所」はどこですか?
自分の「泣き場所」はちゃんとありますか?
もし今なかったとしたら作ってしまいましょう。自分だけの「泣いてもいい場所」を。
そしたらきっとまた明日を生きられるから。
泣いた分だけからっぽになった心をまた潤わせられるから。
ひとりで泣いた分だけきっと強くなれるから。
人の気持ちが分かりすぎてしまう物わかりがよすぎる優しいあなたに、どうかとっておきの「泣いてもいい場所」がありますように。