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心が巣ごもり

 母は洗濯好き、お風呂好きの人でした。どんなに疲れても、多少の熱があっても、お風呂に入らずに寝ることなんてありえなかった。洗濯も大好きで、常に洗うものはないかと目を光らせ、着ている物を脱がされて洗われたこともあります。
 その母がいつのまにか変わったのです。家にいた最後の頃は、連日、同じセーターと同じズボン。着替えをしないだけではない。しばしばパジャマのズボンの上に普通のズボンをはいていました。
 暖かいからそうしているという説明。やめさせようとしても「ええんや、これでええ」手で追い払うしぐさをします。母がそうしたいのなら仕方がない。認知症という言葉がチラつきつつ、母の気持ちを優先して放置。完全にホームレス化していたのでした。
 転倒直後の一週間は、死ぬかと思ったくらいでしたから、着替えどころではありませんでした。寝間着に着替える気力もなくて、昼も夜も、昼間の服装のままで寝ていました。
 その当時、体を起こすのはトイレと食事の時だけ。トイレはベッドからおりてポータブルにと少しだけ移動しますが、食事は吸い飲みでお茶とジュースを少々飲むだけ。そんな日々でしたから、私も着替えさせようとは思いませんでした。
 日中は起きていられるようになっても、母は毎日おなじものを着ようとします。下着すら、何日もそのまま。
 別の服に着替えるのを極端に嫌がりました。洗濯すると言っても「せんでええ。洗われたら困る。これがええんや」同じものを着たがるのです。変化をひどく嫌うのです。
 母の気持ちや関心から見た目のことは抜け落ちてしまいました。髪も梳かさない。顔も洗わない。手鏡をもたせようとしても、うるさがって鏡も見ない。お風呂にも転倒以来、はいれていない。老人なのでにおうことはありませんが、不潔の極みのようでした。
 朝、寝間着を脱いで「あぁ、寒い」とわざとらしく身体をふるわせながら着替える時、下着だけは交換しても上はなぜ同じものを着たがるのか、なぜ別のものではダメなのか、不思議でたまりませんでした。
 着心地の良さなのかとも思いましたが、肌触りも着心地もよいはずの他のものではダメなのです。前の日と同じものでないと嫌なのです。
 黙認するしかありません。嫌だなと思いながらも、母の希望をうけいれました。同じものを着続けることが重要なのだと感じたからです。母は何かを守ろうとしているようにも見えました。
 チラリと思っただけですが、同じものを着続けることで、自分の人生を守ろうとしているようにも感じたのです。どんなに汚れていても、否定してはいけない。母の希望を受け入れなければならない。なぜか、そんな風に感じました。
 蓑虫のように同じものを着続けることで、母は無意識に最小限、最低限の自分の居場所を作ろうとしていたのかもしれない。
 そうやって心を巣ごもりさせて、心を守ろうとしたのかもしれない。心を巣ごもりさせるには、着慣れた服の体温としみついた体臭でつつみこむのが必要だったのかもしれない。振り返るとそんな気もしてきます。その時期を経て、劇的にV字回復したからです。
 日中は「情けない」「寂しい」「はよう死にたい」。嘆きを言葉にしつづけていました。マイナス感情にひたりこんで、言葉の毒気をまきちらしていました。毒をはき続けても家族だからゆるされる。家族にたいする甘え。安心感の裏返し。
 体内に生まれる感情の毒は、言葉にして排出する。そうやって心を守り、ふたたび立ち上がるための力を蓄積する。
 すっかり元気になって、こざっぱりした母をみると、ホームレスのようだったあの時期が、心を立て直すために必要だった気がします。
 無理やり着替えさせなくてよかった。毎日おなじものを着せてよかった。私は今、そんな風に感じています。

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