仕事を失う
がんなどの深刻な病気になったり、年をとったりすると「失う」ものが増えてきます。徐々に少しずつ失うものもあれば、突然、一挙に失うこともある。私の場合は一挙にそれまでの生活を失いました。
昨年末の時点で、経営していた会社を閉じたのです。結果、人生をかけて取り組んだ仕事を失うことになりました。病気のためではありません。会社を閉じたのは母のためです。
98歳になる母と同居して、母の世話をするために仕事をやめたのでした。そんなバカなと驚かれます。分かってくれる人もいましたが、それは少数。親のために自分の人生を犠牲にするなんておかしいと批判されたりもしました。お金で解決できることなんだから、お金で解決すべきだと言うわけです。それができるくらいなら、私だってそうしたかった。稼いだすべてを注ぎこむことになるとしても、可能ならばそうしたかった。できませんでした。それはお金で解決できる問題ではなくて、気持ちの問題だったからです。
私は親の世話をするのが子供の役目だと、小さい頃から教え込まれて育った世代。かつての日本では、年取った親の世話は子供の果たすべき第一の義務だったのです。老人施設は姥捨て山のように思われ、親を施設に入れた人は極悪人のように思われました。眉をひそめた噂話の対象でした。
それでも私は夫の協力を得て、これまでずっと仕事を優先してきました。帰省して母に会うたびに、仕事なんかやめろと言われつつ、生返事でごまかしてきました。10年近く母に我慢してもらい、同居を待ってもらっていたのです。
ほぼ毎月、1週間程度は帰省していました。実家は四国なので東京と往復する毎月の飛行機代もかなりの負担。それでも頑張って定期的に帰省して母の気持ちをなだめながら、なんとかやっていたのです。
しかし徐々に母の衰えが目立つようになっていきました。歩くのもあっちにつかまりこっちにつかまりしてヨロヨロ。私が東京に帰る日にちを覚えきれなくて、何度もくり返して聞いたりします。
そのうちひとりでお風呂にはいるのも危なっかしい状態になったため、同居は不可欠と判断。それが私の役目なのだから仕事よりは親をとろうと、思い切って決断したのでした。
自分の意志でくだした決断ですから、誰にも文句は言えません。虚しかろうがなんだろうが、愚痴は言えない。自分で受け止めて消化するしかありませんでした。
それでも会社を閉じた当初は、ちょっとした解放感もあったりして、自由になれた喜びもありました。でもそれは最初だけ。その後は自分自身を持て余すことになりました。
喪失感だと思いますが、喪失感という言葉には収まりきらないもっと大きな何かです。私にはまだ気力もあり活力もあるのに、打ち込む対象がない。毎日の生活を律する柱がないのです。
仕事という稼ぐ手立てを失うことは、想像した以上に自分を見失うことでした。母が私の同居を喜んでくれるのだけが救いです。母は心の底から安心したらしく、精神的にも安定しました。
私の喪失感が消えたわけではありませんが、母を見ていると、やっぱり仕事をやめたのは正解だった。そう思います。