食べることとエネルギー変換
こんにちは。こんばんは。
今日は22日目。
にゃんにゃん🐈ですね。
ちょっと、恥ずかしい気もしたけれど、ねこが好きだし、次に言えるのが222だし、あと200日後だし。
勇気を出して書いてみました。
(大げさ🐈)
時間と優先順位の課題?悩ましさ?が、最近でてきています。
昨日も、24時間があっというまだーなんてことを書きましたが。
ほんと、24時間、早い。
時間が過ぎるのが早いというよりも、
もっとあれこれしたい、
寝るのが惜しい、
食べる時間がもったいない。笑
という感じで。
優先順位の付け方が悩ましい。
そのなかで、食べる時間がもったいないは、それをやってしまうと、結果ガス欠になって、やりたいことができないので、気を付けたいのだけど。
つい、やってしまう。
(ここ2日、それだった)
ただ、今日、それで、結構極限まで(は言い過ぎか)お腹がすいた。
以前だったら、おなかがすくとイライラしてたのに、それも最近はなくて。
逆に、すっと、悟りに入るブッダさんの気持ちになるような(聖おにいさん的な)。
お腹減ったなら、省エネして、次食べるまで、「すんっ」としとこ。でも、やりたいことのほうがやりたいから、食べるのは今じゃなくていいやー。やりたいことやっとこ「すんっ」。
みたいに。
ただね、さっき書いたみたいに、今日はそれで、結構極限まで(は言い過ぎか)お腹がすいた状態で、あ、もう食べないとまたダメだなこりゃ、と思って、夕御飯を食べ始めたのです。
夕御飯は買ってきたお総菜の赤魚の煮付けと、ごはんと、味噌汁。
お皿を3つ置いてお盆にセットして。
でも、もう、移動して座るエネルギーも面倒で、そのまま立ったまま食べた。
その時、赤魚食べたとき、うわ、エネルギーもらってんだなーと思ったのです。
頂いてるんだな。って。
生きてたのを頂いて、自分のエネルギーにしてるんだなって。なんだか、リアルに感じて。
結構、お腹が空いていたから、食べていく内に元気になっていく、頭がちょっと働いてくるような、自分の感覚が分かりやすかった。
命やエネルギーを移してもらっている感覚。
「生き物」を頂いてるんですな。
毎日。
ちゃんと食べて。
ありがたく食べて。
そのエネルギーを、回りを豊かにするような行動のエネルギーに使えたらいいね。
赤魚さんも食べられ損じゃないように。
頂いた分、いいエネルギーに変えたいね。
noteで頭を使って、指を使って、目を使って。
もうすでに、赤魚さんのエネルギーは消費してしまう模様です…。お腹なってる。
いいエネルギーの使い方ができたかな。
明日のごはんを楽しみに、おやすみなさい。
今日の一曲:「部屋とYシャツと私 /平松愛理」→以前、MV見ながらカラオケしたら号泣した。
追記:時間に関しては、結果、足りないと感じていることも含めて、その一日で、過不足なく最善なのだよね。気付き。
nixhour