読書紹介 ファンタジー 編Part1 『僕僕先生』
どうも、こぞるです。
本日ご紹介するのは、仁木英之先生の『僕僕先生』です。見出しにある左側の写真が小説の文庫版で、右側が漫画版ですね。漫画版は読んだことがありませんが、絵柄のきれいさと題字のかわいさで買ってしまいそうです。
-作品内容-
舞台は中国唐代。元エリート県令である父親の財に寄りかかり、ぐうたら息子の王弁は安逸を貪っていた。ある日地元の黄土山へ出かけた王弁は、ひとりの美少女と出会う。自らを僕僕と名乗るその少女、実は何千何万年も生き続ける仙人で……不老不死にも飽きた辛辣な美少女仙人と、まだ生きる意味を知らない弱気な道楽青年が、天地陰陽を旅する大ヒット僕僕シリーズ第一弾! 「日本ファンタジーノベル大賞」受賞作。
というのが、内容になります。これだけ見ると、え、中国の歴史か・・・。ちょっと難しそう・・・とか、「安逸を貪って」って何?難しい感じの話?と思ってしまうかもしれませんが、そんなことはありません。むしろ、スラスラ読める系です。
難しい話が苦手だという方に、あえて簡単に短くまとめるのであれば「美少女仙人と、その弟子になった二十歳ニートがイチャイチャしてる話」です。
このイチャイチャ感とキャラクター具合は往年のライトノベルや少女漫画を思わせるものになっていますが、かといって、変なクサさやイタさを感じさせないところが、仁木先生の凄いところと言えるかもしれません。
上にあるように、舞台は中国の唐時代とあり、実在したと言われる人や、中国神話の中で有名な仙人の名前も出てきますが、それに関する知識というのは一切不要です。むしろ、歴史に忠実というよりは、それを大きなベースとしたオリジナル世界と考えた方がスッキリ読めるかと思います。
ただ、ちょっとした逸話や、中国神話な生物の名前もでてくるので、途中途中調べながら読んでも、いろいろな知識が得られて楽しいかと思います。
例えば、河伯(かはく)という川の神様の総称が出てくるのですが、これをカッパと読んだのが日本の河童の語源ではないか、それが、西遊記の沙悟浄が日本ではカッパになっている理由ではないかという説があるという明日使える豆知識が手に入ります。
今回、ファンタジー小説をnoteで紹介するのは初めてですが、私は多くのファンタジーものの主人公に共通するものとして、その場所への無知というものがあると思います。
たとえば、イギリス在住のハリー・ポッターくんは、未知の魔法界へ飛び込んでいくし、ホビットの村で穏やかに暮らしていたフロド・バギンズくんは、大魔法使いに連れ立って、未知の土地を旅することになります。メタ的な見方ではありますが、そうすることで、作者が作った世界を「読者と同じ目線で見る目」が、主人公によって作られるのだろうと思います。
では、今作では、それがどうなっているかというと、主人公は仙人である僕僕先生と共に旅に出ますので、もちろん未知の町や、はたまた仙人たちが住むような世界へ行くのですが、それだけではなく、ここにニート(作中ではこう呼ばれていないが)である理由が出てくるのではないかと思います。主人公は、勉学に励み、下の身分の者でも学さえあればある程度の高みを目指せるという時代に生まれながら、のんのんびりびりと、穏やかに生涯を過ごすことを願う人間でした。この考えには、根本的な世間とのズレがあります。しかし、そんな人間を主人公に据え置くことで、未知の仙人の世界への読者の目線がうまれるだけでなく、今から1000年以上前の中国に対する批評的な目も作り出せているように思います。
だからこそ、唐時代という最早それだけで我々にはファンタジーな舞台にさらにファンタジーを加えたものが、これだけ読みやすく愉快な作品となっているのではないかと考えます。
まあ、ややこしい話を書きましたが、要は読みやすいということです。小学校の図書館でダレンシャンに手を出した少年ぐらいであれば、読めてかつはまれる内容となっています。
あと、キュンキュンします。
ちなみに、このシリーズは2018年に『師弟の祈り 僕僕先生―旅路の果てに―』という作品を持って、完結しているそうです。しかもなんと、巻数11!?
私が初めて読んだ当時は、まだ3巻しか出ていなかったので、びっくりです。
ただ、どこかで時間を作って、全巻まとめて、2人の旅路を見守りたいなと思える、そんな作品となっております。
ファンタジーといえば洋風というイメージだった人も、今まで現代ものしか読んだことがないという人にもお勧めできる作品ですので、ぜひ、読んでみてください。
では、このへんで。
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