見出し画像

誰にも共感されぬ『PERFECT DAYS』を観た感想:特大のブルーズ

ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』が配信されていたので、正月に再度観てみた。やっぱり二回見ても、なんだかなぁ、と思う。一度目観たのはたしか2023年の春ごろ、当時すでにすごく面白いと話題だったので、友人3人で観に行ったのだが、感想を話す段で思いがけず僕はとても痛い目にあった。違和感が誰にも共感されず、変な空気になってしまったのだ。別の友人に話してみても、だめだった。これ以上喋っても、平山さんを礼賛する楽しそうな会話に水を差すだけになると思い、感想を言うのをやめてしまった(貴様に信念はないのか)。でも、せっかくnoteを始めたので、あのとき殺した感想を書き留めておきたい。

確かに平山は幸せだ。完璧なルーティンからの定点観測。他人から見ても退屈な繰り返しでも、平山はその中に些細な喜びを見つけ、仕事にこだわりと誇りを持ち、完璧で、しかも一日一日が異なる日々を送っている。しかし、ルーティンのうちに完結する幸せなどもろいものではないか。社会とかかわる以上、ずっと自分の思い通りに行くことなんてこの世にはないのだから。実際、タカシがバイトを急にやめた日、夜まで仕事をやらされて、あの穏やかさから考えられないほどに怒り、乱れていたではないか。その幸せを保つためには、人との関わりを極力絶って、だれにも触れないぐらいに日々の円環の回転をもっともっと速く強くして、ずっと一人ぼっちでいる必要がある。それが、よっぽどの覚悟がないとできないことだと僕は思う。平山は誰よりもその事実に気づいていると思う。だからといって、出世して、結婚して、家庭があって、という彼の家族含め多くの人が信じて、享受している幸せに上手にはまることもできない。

俺はこれでハッピーだし、こう生きる他にないんだから、ほっといてくれよ。

フロントガラス越しに朝日を受けて、涙を流しながら笑う最後のシーン。僕はなぜか平山さんがこんなことを言っているような気がした。この日々は「完璧」なんだと言い張るしかない。彼の周りにいる人たちは彼の幸せに能動的にふれることができない。彼が僕にとって身近な存在であったとして、僕は彼の幸せに対して思うところがあるが、彼がそれでいいというのなら、何ともできないし、すべきでないし、したくもない。こんなふうに生きていけたなら。 ― いや、どうにも僕にとっては、術がない、124分の特大のブルーズを唄った映画だった。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集