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フジのいじめ文化vs文春の魔女狩り


異様な記者会見に見る“魔女狩り”の構造

文春報道から会見までの流れ

フジテレビの一連の問題は、週刊文春の報道から端を発しました。女子アナを“性接待要員”のように使い、被害女性が相談しても十分な対応が行われなかった――というスキャンダルが告発されると、一気に世間のバッシングが加速しました。CMスポンサーが次々と降板し、フジテレビ上層部は社長・会長辞任へと追い込まれました。しかし、その背景には「どの程度事実認定がなされたのか」という疑問や、「空気」による過剰な攻撃も見え隠れします。

“異様”だった会見と記者の振る舞い

問題を収拾しようと開かれたフジテレビ側の会見は、多くの人が目撃した通り、異様な光景でした。

  • トップの説明責任の不十分さ
    具体的にどの部分で組織的な隠蔽があったのか、被害女性に対してどんな対策をとったのか――肝心な点は曖昧なまま。むしろ“感情に訴える”会見に終始した印象が強く、「ダメージコントロール」臭が濃厚でした。

  • “魔女狩り”と化す記者の追及
    一方で集まった記者たちも、被害者救済や問題の本質に切り込むというよりは、「自分の発言をネットやSNSで拡散させたい」「強い言葉で叩いて目立ちたい」――そんな意図が感じられるやり取りが目立ちました。結果的に“魔女狩り”のエンタメとして消費され、現場の歪みや被害者救済がどこか後回しになっているような空気でした。

こうした「空気によるバッシング」「大勢によるスケープゴート化」は、日本的な構造でもあります。フジテレビは過去に培ってきた“いじり”や“いじめ”の快感を商品化するバラエティ文化に対し、今度は文春によって自分たちに牙をむいている――という皮肉な展開でもあるのです。

“面白くなければテレビじゃない”路線の根っこ

政治の季節の疲弊から“面白主義”へ

フジテレビの「面白くなければテレビじゃない」は、80年代に爆発的に支持を得ました。背景にあるのは、60~70年代にかけての学生運動や社会運動――いわゆる「政治の季節」の反動です。当時、人々は「正しさ」を巡るイデオロギー闘争に疲弊していました。

  • 政治的イデオロギーへの反動
    極端な主義主張が激化すれば暴力や内ゲバを生み出し、やがて“正しいはずなのに血が流れる”事態にもつながる。この反省から、「あまりに深刻にならず、笑いで物事を相対化する」風潮が顕在化していきました。

  • エンタメ第一主義の時代
    こうした潮流のなかで、フジテレビが掲げた“とにかく視聴者を楽しませる”姿勢は、多くの若者に受け入れられました。保守的だった局のイメージを一新し、バラエティ番組や新感覚の番組企画で一躍トップを走るようになったのです。

“いじり”の浸透とマスの快感

フジテレビの象徴的なバラエティには、芸能人同士の“いじり”やスタッフも巻き込んだドタバタ感など、内輪ノリを豪快に見せて笑いを取る手法が多用されました。大衆はそれを“敷居の低いエンタメ”として歓迎しました。

  • マジョリティの側に立つ安心感
    「芸人がいじられるのを見て笑う」という構図は、視聴者に「自分は安全な側だ」という安心とカタルシスを与えます。学校で言えば、“スクールカースト上位”が“下位”をいじる光景と重なり、そこで生じる安堵感が視聴者を取り込んでいきました。

  • 番組内の誇張された“いじめ”演出
    多数派が少数派を嘲笑する――本来であれば深刻ないじめと同じ図式が、あくまで「バラエティの演出」として成立し、大衆から「面白い!」と支持されてしまう。これが長きにわたり継続されたのです。

“いじめバラエティ”へ堕していった影と今後

組織文化への反映と歪み

“面白ければOK”という路線は、番組づくりだけではなく、フジテレビ社内にも影を落としました。

  • 女子アナ接待要員化
    タレントやスポンサーとの飲み会で、女子アナが“盛り上げ役”として動員されるという体質。これは女性の尊厳を軽視するばかりか、組織的に隠蔽されてきた疑惑も浮上しています。

  • 現場スタッフの苦悩
    一方で、ドキュメンタリーや報道、子供向け番組のスタッフには、真面目に番組を作りたい人々が確かに存在します。しかし“いじめ文化”が上意下達で支配する組織の中では、声を上げてもつぶされる、あるいは出世を妨害されるといった問題が根深い。

“空気”と“魔女狩り”を超えるために

今回の会見やスキャンダルは、いわばフジテレビが長年培ってきた“いじめ的”エンタメのブーメランを食らっている面もあります。マスコミやネット世論は、今度はフジテレビをターゲットにして同じように“いじめる”ことで快感を得ているようにも見える。

  • バッシングといじめの裏返し
    ネット上の“魔女狩り”は、番組で行われていた“いじり”をそのまま逆転させただけとも言えます。弱者を寄ってたかって叩く構図は何も変わらず、ただ叩かれる側がフジテレビに変わっただけ。

  • 真の改革に必要なもの
    いじめの加害と被害が入れ替わっているだけでは問題は解決しません。フジテレビのような大手メディアが、その体質ごと大きく新陳代謝を図る必要があります。経営陣の総退陣や外部資本の導入など、「膿を出す」段階が来ていると言えるでしょう。そこまでやれば、番組制作ノウハウを活かした新たなモデル(サブスク展開やグローバルビジネスなど)も開けるかもしれません。

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