近代のなれの果てとしてのジェンダーフリー:人間性の回復としての前近代の再評価
最初に見つけたのはこの記事です。
ここでは、反フェミニズムの流れの一つとして、共同体の存続を目的とする伝統主義の立場からの反フェミニズムは、女性にとっても参加しやすい反フェミニズムだと述べられています。
それで思い出したのが以前見かけたこの流れです。
私は男性ですので、女の感覚は想像するしかできませんが、男性であってもFIREをはじめとして、近代のなれの果てとしての末期資本主義にうんざりしてそこから離脱する動きが高まっているのは見逃せないでしょう。
DASH村がなぜあれほどまでに爆発的な人気を誇った番組になったのかの社会的背景を考えれば、港区的あるいは六本木的なものからの離脱というのが男性においても主流になっていくのではないかと思います。
かくいう私もDASH村や、たそがれ清兵衛、秋山大治郎(剣客商売)のような生活スタイルに憧れ、それを実現すべくアレコレやっている最中ですので。
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以上の流れを見ますと、中世的なモノに対するアンチとして始まったウェストファリア的近代ですが、その目的を達成した後に近代そのものへの疑問を抱かせるほどに先鋭化した成れの果てが、新自由主義的(=リベラル的)資本主義であり、フェミニズムであり、キャンセルカルチャーでしょう。
近代は、近代が生み出した鬼子(リベラル、フェミなど)によって終焉を迎えるでしょう。
反リベラル、反フェミニズムが「我々は99%だ!」という叫びを上げることによって。