与えるものを拒否られる者はどうすればいいのか?についての解答
あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。
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これはとある邪宗門の「使徒言行録」20章35節からの引用です。
たしかに、受け取るというか、施されるよりも、誰かに何がしか与えたい、別の表現をすれば「自分が世界になにがしかの影響を与えることで、自分が存在していた痕跡を残したい」という極めてプリミティブな、それゆえに強力な欲求でしょう。
それについて、現代人の惨状を事実的に分析しながら論じる見事な評論がありました。
ただ、一つ私が気になったことは、「与える」ということができることも、ハイスペイケメン男性を捕まえるのと同じく非常に強い運が必要だということです。
それはどういうことかといえば、たいがいの人(特に男性)は、自分が何か与えようとしても拒否られるのが常だからです。
つまり、自分の与えようとするものを受け取ってくれる人間はどこにもいないということです。
だからこそ、キャバ嬢に貢いだり、アッシー、メッシーになったりと己の資産をドブに捨てるということをやってしまいがちであり、事実そういう悲劇はそこかしこに転がっています。
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「自分の与えようとするものを誰も受け取ってくれない」というのは、私も嫌というほど経験してきましたし、それもあって最近はそういう氣も起きなくなってきているのは事実です。
しかし、それでも現実的に生きていられるのは、ある種の思考実験を経ていたからです。
その思考実験がこちら。
本作では、迫りくる大量の無人兵器群に対抗するために、祖国から「無人兵器」に乗せられて戦わされるパイロットたち(=エイティシックス)の主人公の話です。
自分が生きて死んでいった墓さえも残すことを許されず、ただひたすらに無為に戦い、無意味に死んでいくことを物理的に強制された主人公たちエイティシックスが、そんな何も未来も誉れも、一かけらの希望も、そして自分の生きた痕跡すら残せないのに、なぜ日々精一杯明るく楽しく生き、そして苛烈なまでに戦うのか?ということを問われた時の回答に心を打たれました。
ネタバレを含むのでこの先注意ですが、端的には
「何もかも失っても、何一つ得られなくても、最後まで戦い抜いたという、誰にも奪えない己の誇りのために戦い続ける」
ということです。
「こんなクソ以下の世界であっても、最後まで誇り高く戦い抜くこと。戦い抜くことそれ自体が、自分が最後まで戦い抜く理由だ」と。
そして続刊(第3巻)の話ですが、そうして戦い抜いた果てに、ただ無為に死んでいくだけの現実を改めて突き付けられた主人公へ、それでも戦い抜いたことに意味はあったという救いがもたらされます。
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『あなたも』
『あなたも、そうでしょう。戦い抜いたから――生き抜いたから、今、そこにいる』
『そのことをもっと、誇ってもいいのだと思います』
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私が与えようとするものを受け取るような人は、少なくとも私が生きている内には世界のどこにも現れないでしょう。
つまり、冒頭の記事にあったような、与えることで得られる人生の充実感=自分がこの世界に生きていたという痕跡を残すという原始的な欲求が満たされることはないでしょう。
とはいえ、今の私はそれを従容と受け入れることが出来る心境です。
なぜならば、本来の意味でエイティシックスたちの覚悟を完全ではないにせよ自己化することができたからです。
あとは、命の限りを燃やし尽くして戦い抜く。それだけです。