古流柔術への入門
かねてより書いていたとおり、古流柔術である諸賞流和の道場に行ってきました。
今回は柔道着がなかったため、見学兼見取り稽古ということになりました。
ありがたいことに、黒帯の熟練修業者の方が形や理合を解説してくれて、初見の見取り稽古ではありましたが非常に理解しやすかったです。
ということで、私見を中心に書いていきます。
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諸賞流和の体系は、大きく分けて小具足と立合に分かれています。
小具足、立合ともに、表、ほぐれ(手偏に解)、裏、変手(へんて)、手詰の五段階に変化します(出典『日本の古武道』)。
表の形以外は全て表の形の変化技であり、全体系の技の数は非常に多いものの、表の形の数はそこまで多くない印象でした。
徒手空拳の武道・武術の場合(合気道が典型ですが)、武器術以上に様々に変化させることができて、それをそのまま平面的に型にしてしまいがちですが、諸賞流和は少数の基本技を表としていて、残りは変化技という体系としており、何が基本であるのかが明確で、武道科学理論に適った合理的な体系だったと思いました。
なので、まずは少数の基本技である表の技の修練に励むことになります。
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見学で見せてもらったのは小具足の表と、一部の裏の形(当身の練習)、そして後述する併伝の無辺流棒術と薙刀術でした。
解説してもらったのは、小具足は立合の技の分解式であり、立合の技で遣う重要な要素を抜き出して座った状態で技をかけるものでした。
座敷での座った状態での戦いに役立つのはもちろんですが、そこで立合に重要な要素を学べるので、小具足に熟達すれば立合でも非常にスムーズに技を修得していけるようになります。
これは非常に貴重で、今の合気道などはほとんど立った状態での練習であり、それでは足の力で誤魔化すことができて本当に技がかかっているのか分からなくなります。
なので、柔術系の稽古は、正座をして足の力を使えない状態にしてちゃんと技が極まったかどうかが分かる形で行うのがちゃんと上達するために必須です。
また、正座そのものが土台の強化に役立ちますので、立ち技に移行した時により安定した技に仕上がるという効果もあります。
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無辺流棒術は、もともと諸賞流和の体系には無いもので、江戸時代に併伝することになったものとのことですが、非常に優れた術技であると思いました。
また、棒術だけでなく薙刀術もあり、こちらも棒術と同様に非常に実戦的であり、優れた薙刀捌きであるなと感じました。
武器術を見ていて感じたのが、柔術と体捌きなどが統一されているということです。
振武館・黒田流の民弥流居合、駒川改心流剣術、四心多久間流柔術、椿木小天狗流棒術がだんだんとすり合わさっていき、当初は別々だった流派が長い時をかけて「黒田流」とでもいうべき一つの流派の統一された技になっていったのと同じように、無辺流棒術も諸賞流和と併伝されてきた歴史からだんだんと技の相互浸透が起こってきたと思いました。
なので、武器術の修練と柔術の修練がそれぞれ相互の役にも立つという体系であったと感じました。
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また、稽古は畳の上で行ったのですが、演武も見せてもらい、そこでは板敷の床の上で柔術の演武をしていました。
板敷の上で柔術を行うというのは、剣でいえば無防具かつ木刀で組太刀をするのに匹敵するものであり、板敷で投げ飛ばされてもちゃんと受け身を取れる技術と精神が伝わっているのが実戦性を感じさせてくれました。
というのも、映画『姿三四郎』を見れば分かる通り、本来的な武道・武術としての柔術の仕合は屋外(土や岩の上)や屋内であれば板敷の上で行うものであり、そういう固い地面でも受け身を取ることができることがきちんと文化遺産として保たれているということに感銘を受けました。
実際に柔術の技を駆使しなければならない場面では、ブルース・リーの映画『死亡遊戯』に出てきた合気道のように勝負するとなってから畳を敷き始めるような時間などあろうはずがなく、その場ですぐ勝負となります。
昔であれば土、岩、板敷、現代であればコンクリートの上で即勝負が始まるということであり、そういう「投げられたらタダでは済まない」場所でも勝負しうる勝負心、そしてそれを支える技術を伝承しているところはやはり無形文化財に指定されて伝統を大切に守って来た流派だけあるなと思いました。
私が兵法者として完成していくために必須となるであろう様々なことを学べると確信しましたので、12月からの稽古が非常に楽しみで待ち遠しいです。