書評「身銭を切れ」ナシーム・ニコラス・タレブ(著)
身銭を切ることの効用を述べた本である。効用は様々にあるのだが、一つ注目すべきなのは、身銭を切ることで人は成長するという観点だ。著者は金融取引に注目してから、数学を学ぶ意欲が格段に向上したらしい。現場でリスクを引き受けているときにこそ、人は成長するということを身をもって示している。受験、資格、仕事、あらゆる局面で人はリスクを背負うが、そこから逃げていると得られないことはある。リスクが低いことは価値も低い。負けたら失うものが多いほど、価値は高い。難関大受験、司法試験、首と隣り合わせの仕事、どれも時間や金銭というリスクを背負っている。しかも成功する保証などない。だからこそ、勝った時のリターンも成長も大きい。正しいリスクテイクは、自分の人生をドライブさせるためにも必要なものだ。
他にも身銭を切ることの意義をあらゆる観点から語っているのだが、どうにも話が長く感じる。サピエンス全史を読んだ時も同じ感想を抱いたのだが、洋書にこの傾向があるのか、この2冊だけがそうなのかはわからない。多分偶然だろう。話が長いゆえに、何が言いたいのかよくわからなくなってくる。一本筋の通った内容というよりは、細かい話をつなぎ合わせた内容で、結局話はなんだったっけ、となることも多かった。しかし、身銭を切ることに対する価値と、絶対に身銭を切らない似非知識人の欺瞞を暴く意欲は十分に伝わってくる。正直身銭を切る云々よりも、この知的バカに対する攻撃の部分が最も面白かったと言っても過言ではない。
著者は現実に残るもの(しかも長く生存するもの)こそが正しく合理的なものであると考えている。一方似非知識人は、観念の世界に住み、観念の世界で生み出された理想こそが正しく合理的なものと考える。その部分で決定的に相入れることがない。著者は現実に降りてこないという点から生じる似非知識人の愚かさをあげつらって徹底的に攻撃している。それこそがこの本の要点ではないかと思えるくらいだ。
最後の方には、確率論やリスク評価の考え方などが書かれており、この辺りは普段意識することがなかったので興味深かった。書かれている内容は幅広いが、一つ取り上げると、著者は破滅的なリスクがわずかにでも含まれる行動は、途中でどんなに利益が得られれたとしても、それが続く限り、いずれは崩壊し、リターンが計算不能になると述べている。だからこういう事情に対しては統計的な分析などさしたる意味を持たないということだ。前半部ではよくわからないものに手を突っ込むべきでないと主張しているが、要はこの種のリスクがどこの潜んでいるかわからないから、ということだろう。
身銭を切ることの効用、知的バカへの攻撃、確率とリスクの話と、見るべき内容が多い本だが、とにかく長いので、多少の気合が必要な本だった。