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【表現評論】メモリーズオフの魂 ー今坂唯笑、陵いのり、南雲霞ー

●魂とは本質である

メモリーズオフの魂とは何か。僕はコアレビューでことあるごとに「魂」というワードを使っています。魂のキャラだの、魂の継承者だの、メモリーズオフの魂だの、いろんな場面で出て来ますが、正確に定義したことは一度もありません。というか正確な定義などない。文脈によって色々な意味で使っていると思います。ただおおよその意味はあるので少し語ってみたい。

主に「魂」という言葉はその事物における「本質」という意味で使っています。なのでメモリーズオフの魂ということはメモリーズオフの本質と言い換えてもいい。じゃあ本質って何なのよ。本質とは物事の性質を規定するために欠かせないものです。定義はわかったと。そんなら何がメモリーズオフの本質なのよと。この答えはシンプル。僕にとってメモリーズオフの本質は唯笑です。今坂唯笑さん。1stのメインヒロイン。メモリーズオフの基準。理想のヒロイン。なぜ唯笑なのか。それは最初のヒロインだから。原初のヒロイン。シリーズの性質を決めるのは一番最初の作品の一番重要なシナリオですよね。だから唯笑が本質です。1stに唯笑いなかったらメモリーズオフを続けていたかわからない。

とはいえ、メモリーズオフの本質は唯笑さんですと言われても、何も言ってないに等しい。今度は唯笑ってなんなのよって話になるわけで。では今坂唯笑さんの本質とは何なのか。

シンプルに挙げると次の三つです。

・自己犠牲
・積年の想い
・ほんの少しのわがまま

この三つを持ち合わせているのは唯笑だけではなく、いのりと霞もそうです。だから僕がメモリーズオフの魂のキャラと呼ぶときは、唯笑、いのり、霞の三人を想定しています。二点該当してるキャラクターもいますが(りりすとか)、二点では魂のキャラには入りません。あくまで三点セット。瑞羽も入れていい気はするけど、なんかちょっと違うんだよな。なんかが足りない気がする。やっぱりメモリーズオフの魂はこの三人です。ということで、それぞれのヒロインを詳細に見ていこうと想います。

●今坂唯笑の本質 無邪気な愛

唯笑は常に自分を犠牲にしています。中学生の時には彩花と智也の中を応援し、彩花が死んだときは智也のために家に通い詰めて励まし、智也が元気になってからは智也に寄り添って行動する。唯笑は小さい頃から智也に好意(積年の想い)があったものの、最初は彩花のためにそれを引っ込め、次に彩花が死んだ後は彩花を想い続ける智也のために引っ込めています。さらに一回付き合い始めた時も、やはり智也のために嘘をついて再度引っ込めてきます。

これはただ好きというだけではできない行為です。つまり自己犠牲の本質って愛なんですよね。愛。これも頻出するワードだけど。自分のことは二の次にして、相手を想う気持ちがないとできない。その純粋さに我々(というか俺)は心打たれるわけです。昨今は誰かのために誰かが犠牲になってはならない、という物語が多いような気がしますし、我慢は非合理的であるという考え方が主流になっていますが、だからこそ改めてプレイすると、唯笑やいのりや霞のような存在が光るように思いますね。

とはいえ、別に完全無欠な聖女を求めてるわけではありません。そういう自己犠牲とか積年の想いの先に、ほんの少しのわがままがあるのがポイントです。主人公のために全てを捧げているようなムーブの中で、それでもちょっとは自分をみてほしい、振り向いてほしいみたいな、少しのわがままが、最高に可愛く見えるポイント。ちょっとどころではなく、ものすごーくわがままなのがりりすですが、ここまで行くともうなんだろう。自己犠牲の精神が相殺されて見えるんですよね。逆に全く無欲だと恋愛ゲームのヒロインたり得ません。全く無欲のキャラは流石にいませんが、そういうキャラが出て来たとしても、あんまり心を打たれない気はします。自分の熱い気持ちを主人公のために犠牲にしているけど、たまに我慢できなくなるところが可愛さのポイントなわけで、無欲だと最初から自分の欲求がないか薄いってことですからね。犠牲も何もあったものではない。そこには愛がない。やはり”ほんの少し”のわがままが必要です。

●陵いのりの本質 深い愛

いのりの本質は唯笑よりも徹底した自己犠牲にあります。主人公を守るために長年嘘をつき続け、さらにゲームの開幕から別れを告げるわけですからね。大好きなのに別れなければならないということで、唯笑みたいにどっちつかずの状態が続くよりも残酷、かつ犠牲の度合いも高いように思います。

唯笑は彩花の死を乗り越えるための行動だったわけですが、いのりは逆。リナを忘れさせるための行動でした。行動の動機は、かつて一蹴君に命を救われたからという恩義の念と、積年の想いが募ったことによるものです。ずっと前から好きだった、といのりは事ある毎に言ってた気がしますが(事ある毎というほどでもないか)、ずっと前とは小学校にも上がらない時からの頃を指してるわけですからね。そりゃずっと前と言う資格はあるよ。

いのりが願っていたことは、リナを思い出してほしくないことと、自分がつばさちゃんではないことに気づいてほしくないことでした。そこには純粋に一蹴君のためという気持ちと、長年嘘をついていた自分を知られたくなかった、自分を嫌ってほしくなかった、好きでいてほしかった、というほんのちょっとのわがままが含まれています。やっぱね、ただの聖女じゃダメなんだよね。この人間らしい動機があるからこそ、キャラクターは魂たり得るわけです。

●南雲霞の本質 博愛

霞の本質は究極的な自己犠牲にあります。まず霞は自分が最悪の状況に追い込まれており、助けを求めてやってきたヒロインなわけですが、そんな状況を顧みず、大輔とちなつのために全てを捧げて、二人の状態を改善すべく奔走してします。

その行動の動機は10年前に直樹の死の遠因となってしまったトラウマと、大輔を見捨てて逃げてしまったトラウマと、ちなつへの友情と、10年間大輔を想い続けたことにあります。おまけに今の大輔を救うには自分のことをなるべく思い出さないようにしなければならないわけですからね。想い人が目の前にいるのに、あえて好かれないように行動しなければならないという地獄。

自分が大変な状況の中でこの地獄を貫くのは、もはや愛としか言いようがない。それも大輔のためだけではなく、ちなつのためでもあるという。霞の本質は異性愛だけではない、もっと広い博愛にあると言えます。なぜそうなったのかは、おそらく自分に対する罪の意識でしょう。霞は3人の中ではとりわけ直樹に対する罪と、その贖罪の意識が強いヒロインです。取り返しのない罪が転じて広い意味での愛を獲得したのではないかというのが、作品を通して得た印象です。やっぱね、こういうの年取るほど刺さるよね。みんなに優しいって素晴らしい。

霞のわがままは、それでもやっぱり自分のことをほんの少しは意識してほしいと思っていたことです。思い出してほしくないけど、思い出してほしい。嫌われた方がいいけど、嫌われたくない。構われては困るけど、構ってほしい。霞の不思議な行動の理由は、こういうほんの少しのわがままに表れています。後からそれがわかった時、ははっ、この可愛いやつめ、となるのが霞のいいところですね。いやぁ。やっぱり最高のヒロインだな。霞は。愛だよ愛。

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