【表現評論】メモリーズオフ イノサンフィーユ コアレビューその0 最高傑作?【全作再プレイシリーズ】
⚫︎前回の記事
⚫︎とある男のメモリーズオフ観
まさかの第0回。それだけこの作品は特別ってことですね。良くも悪くも。え〜。これを言うと敵が100人増えそうなんですが(読者は100人もいない)予め言っておきます。”僕”はイノサンフィーユを”メモリーズオフ”としては評価しておりません。待って待って。いきなり帰らないで。わかってるって。言いたいことは。言わなくてもわかってるって。イノサンフィーユは最高傑作って言いたいんでしょ? 客観的に見たらどう考えてもそうなるって話でしょ? グラフィックもストーリーも音楽もキャラクターも最高だろ? 評価しないとか馬鹿なのか? 逆張りクソ野郎か? シリーズの集大成だろ? って声が聞こえてくるよ。わかってるって。ノエル可愛すぎかって言いたいんでしょ? わ〜かってるよ。僕もヘビィサイドの途中まではそう思ってましたよ。客観的には家庭用恋愛ADVとして確実に傑作の部類に入りますよ。そういう声があっても否定はしないよ。ノエル可愛すぎか以外は同意するよ。そこは同意しないのかよ。可愛いけどさ〜、なんか引っかかるんだよね。ノエルちゃん。僕は柚莉と神崎さんが好きです。キャラの好みはともかく、単純な出来だけ見ればメモリーズオフの中では最高傑作でしょうよ。OKOK。わかったって。イノサンフィーユは最高傑作だよ。
しかし、それでも最終的に”僕”は”メモリーズオフ”としては評価しないと決めただけです。そう。決めただけ。誰も客観的評価などとは言っていない。個人的にそう決めただけ。僕の考えた最強のメモリーズオフを作ってくれと言ってるわけでもない。ただの偏屈おじが一人で評価しないと決めただけです。傑作だけどメモリーズオフとしては評価しない。評価しないと言っても、評価が低いとか高いとかではない。正確には評価不能という言葉が正しい。出来がいいとか傑作とかじゃないんですよ。評価の対象外なんだから。選考要件を満たしてない。
ことあるごとに言ってるけど、この作品メモリーズオフと科学ADVシリーズとの合いの子なんですわ。カオスメモリーズイノサンフィーユだったら最大限評価したかもしれない。でもさぁ。この作品メモリーズオフって冠しかついてないんだよね。じゃあメモリーズオフの枠組みの中で作ってくださいよって話になるわけですが、申し訳ないけど俺の中ではイノサンフィーユはその枠組みから外れてしまっているので、評価不能ということになります。じゃあ何が枠組みから外れているのよ。
もう今回はゆびきりと違って最初からネタバレ全開でやりますからね。これを読んでる人でネタバレを気にする人はいないと思うけど一応注意。
枠組みを外れている点は、最も大きいものを言えば、メインルートで「ヒロインが殺人を犯す」ことです。メモリーズオフの世界観でこれだけはどう考えても受け入れられない。殺人自体もあり得ないけど、さらにヒロインがやるとかあり得ないでしょ。そういうゲームじゃねえからこれ。カオス⚫︎⚫︎なら納得できるけど、メモリーズオフでそれはないですわ。おかげで今後メモリーズオフの新作をやるたびに、この作品過去にヒロインが人殺したんだよな、と頭をよぎる可能性があるという。もう幸せなあの頃には戻れねえよ。そういう意味ではスターオーシャン3に似ている。後の作品で何が起きても、どうせゲームの中でしょ? みたいな。ちょっと違うか。だいぶ違うな。
いや、わかってるって。人格が違うって言いたんでしょ? 柚莉がやったわけではないって話でしょ? わ〜かってるよ。でも僕は希莉がやったから柚莉が免責されるなんて解釈では納得できないんですわ。そもそもメモリーズオフでガチの多重人格者が出てくること自体にめちゃくちゃ違和感があり、それによってメモリーズオフ特有の「ありそうな現実感」が失われている訳ですが、現実感の問題は置いておくとしても、他の人格が殺害したから罪が免責されるなんて理屈は通るんですかね。指示した人間が他にいたとしても、やったのが他の人格だとしても、この場合において本人の行動が免責されるとは思えない。一万歩譲って仮に免責されたとしても、自責の念は一生消えないでしょ。柚莉さん可哀想すぎない? こんなに可哀想なヒロイン見てられないよ。FDで柚莉はどんな扱いになってるんですかね。コアレビューでは本編以外扱いませんが、気になる。
沙子はどうなのって? あれ正史じゃないし。仮に正史だとしても俺の中では許されている。イノサンフィーユの所業は沙子と同じだとは思えない。イノサンフィーユはあまりにも因果関係が明確すぎる。沙子は因果関係があるとは言えないレベルだし。
ちなつはどうなのって? あれもだいぶアウト気味だけど、死んではいないし、洗脳されていたキッズがやったことなので、イノサンフィーユと同一視はできない。ゆびきりも今までとは違うメモリーズオフを作ろうと試みた作品だと推測はしますが、気持ち的にゆびきりはまだセーフ(メモリーズオフの枠組みの中にある)です。イノサンフィーユはラインを超えてしまっている。気持ちとか、ただのあなたの感想ですよね、という声が聞こえてきましたが、コアレビューはただの感想だからね。論文じゃないんだから。結局は俺がどう思うかだけが重要。
他にもメモリーズオフとは思えない人格破綻者がいたり、ペンでナイフと格闘するヒロインが現れたり、ミステリー要素に偏りすぎていたり、イケメンの奴隷女がいたりと、これなんなん? そろそろディソード出てこない? と思わされるシーンが結構あった。こう言ってるとカオスシリーズアンチのように聞こえなくないですが、僕はメモリーズオフもカオスヘッドもカオスチャイルドも大ファンですよ。だからってそれらを統合したような路線に納得するのかと言えばそうではない。メモリーズオフはメモリーズオフで、カオスシリーズはカオスシリーズなんですわ。混ぜるな危険。メモリーズオフは「現実」だし、カオスシリーズは「非現実」なので。全然関係ないけどディソードはあやせと優愛が好きです。ディソードはみんなキャラのイメージ通りの形してるので凄いと思う。カオスシリーズも語ると長くなるので閑話休題。
●メモリーズオフが好きな理由
もう一個つけ加えると、確かにイノサンフィーユは優れた構造と仕掛けを持ったミステリー作品なんですが、僕はギミックが優れてるとか伏線回収が素晴らしいからメモリーズオフが好きなわけではないんですよね。メモリーズオフの魂回でも言ったように、ヒロインの魂が感じられるから好きなんですよ。
ゆびきりもイノサンフィーユのように途轍もない展開で予想を裏切ってくる作品なわけで、初見の時は確かにめちゃめちゃ驚いたんですが、それが理由でゆびきりが好きなわけではない。あくまで霞というキャラクターの行動にメモリーズオフの魂を、本質を、息吹を感じるから最高の作品だと思うわけです。いのりや唯笑も同じ。そういう意味でイノサンフィーユからは魂や息遣いを感じなかった。イノサンフィーユは構造が優れすぎていることが仇となって、キャラクターが物語上を動く舞台装置に見えてしまいました。瑞羽も定義上ではメモリーズオフ魂のヒロインの系譜に入りそうなんですが、あまり人間味を感じないんですよね。だから魂のヒロインには入れてない。入れると違和感がある。舞台装置云々の話は、一三騎兵防衛圏のレビューでも同じような話をしています。
ただなぁ。舞台装置であるからこそギミックの質が高くなるところもあるので、アンビバレントな話ではあります。伏線やギミックを重視するなら、やはりイノサンフィーユは傑作と呼ぶべき作品なんでしょう。僕は魂を重視してるのでイノサンフィーユをメモリーズオフとして単純な傑作だとは呼びづらい。
●最終作品?
たまに最終作品じゃなかったと怒ってる人を見かけますが、そこは何も思わないです。特に怒りポイントではない。俺のメモリーズオフへの怒りポイントはヒストリア超限定盤のほたるのフィギュアが微妙だったことだけ。5万円払ったんだからちょっとぐらい文句言ってもいいだろ。許してよ。まあフィギュアは超限定版じゃなくてもついてるんだけど。そもそもなんで毎回毎回ほたるやねん。そこは唯笑でしょ。双想超限定盤があるなら10万円でも買うよ。10万ならフィギュアのクオリティも上がるかもしれない。額縁も豪華になるかもしれない。卒業式も豪華になるかもしれない。卒業式行ってないんだけど。なぜ行かなかったのか。今考えると謎。第2回卒業式をやってもらいたい。卒業式とは何なのか。エンドレス卒業式。というかイノサンフィーユが最終作品になるとは全く思ってなかった。ゲーム業界の嘘八百の歴史を知っていれば些細なもんです。ゆびきりもさ〜、記憶が正しければ最初はXBOX360以外では出さないとか言ってなかった? その手の話を間に受けてはならないことは歴史が証明している。嘘が悪いとも思いません。発言したことを全て守っていたら身動きが取れなくなりますよ。メモリーズオフにもそんなシナリオ結構あるし。ちなみにイノサンフィーユの公式見ると、いまだに最終作って書いてありますね。ということはやっぱり最終作なんだよ。双想は何なのか。
あとは神崎さんが攻略ヒロインじゃないだけでマイナス1億点はある。これが攻略できないとか嘘でしょ。相葉さんとかプルシアイネンさんとか木瀬師匠どころの騒ぎじゃない。あまりにも重い罪。なぜ力丸さんだけが攻略ヒロイン足り得たのか。謎の解明が待たれる。
⚫︎メモリーズオフの未来
まあでもね、あれこれ言ってますが、イノサンフィーユはいろんな意味で成功したタイトルだと思うので、結局は最初に言った通り、偏屈厄介おじが一人で評価しないと言ってるだけの構図です。悲しい。誰と戦っているんだ。一体。イノサンフィーユが初めての作品だったら、絶対にメモリーズオフの最高傑作として認定してたと思う。今回のコアレビューのようにメモリーズオフ全作を短期間で全部プレイしていた場合も、最高傑作として認定してたと思う。長い年月をかけて作り上げられたメモリーズオフ観のせいで評価できなくなっちまったよ。こういうのが老害って言うんだな。仕方ないね。そういう経験をしてしまったのでもう取り消せない。ご容赦いただきたい。
ということなので、次作のシンスメモリーズは元の枠組みに戻っていて安心したわけですが、でも星天は成功したタイトルとは言えなさそう。ファンディスクもなかったし。あーあ。みそらと藍乃ときゃっきゃうふふするの楽しみにしてたのに。ほとんどFDやってないのにどの口で言ってるのか。しかもせっかくタイトル変えたのにまた元に戻すし。シンメモ2とか絶対ないでしょ。絶対ないとか言っとけば逆を突かれるかもしれない。なので双想はイノサンフィーユと同じ路線に戻すのではと思ってる。どんな作品でも買うけどさ。これも最初に言った通り、僕の考えた最高のメモリーズオフを作ってくれと言いたいわけではない。矛盾してるようですが、結局はどんな内容でもメモリーズオフと冠がついてるだけでいい。メモリーズオフは俺の魂の場所だから。評価するかは別として。好きだろうが嫌いだろうが評価とは関係なく家族は家族であるのと同じです。
⚫︎もはや愛
このようにイノサンフィーユは”個人的”に”メモリーズオフ”としては評価できない作品なわけですが、ただしコアレビューは再プレイなんでね。再プレイして感想がどう変化するかに価値がある。なんだかんだで傑作なのは間違いないので、終わった後はやっぱりイノサンフィーユ最高! ノエルちゃん最高! 岡崎最高! ってなってる可能性もある。今のところほぼ全ての作品が再プレイ前と印象が変わっています。ただ他の作品とは異なり、イノサンフィーユをプレイしたのはそんなに前ではないので、何も変わらない可能性もある。多分その方が確率としては高い。果たしてどうなるのか。この作品も長くなりそうだなぁ。ゆびきりも長かったよ。
あと信が結婚したのも納得してねえからな俺は。当たり前じゃねえからな。この状況。ずっと言ってるけど。この納得できなさについてはある程度言語化できているので、おいおい語っていきたいと思います。
まだ再プレイにも入ってないのに謎の長文を書く男。評価しないと言ってますが、もはや愛だよ。これは。