【無料記事】あー損した
よしま2号様の素敵なイラストを使わせて頂きます。ありがとうございます。
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100円のサングラスと1万円のサングラス。
どちらの方が価値があるか。
価値というのは受け手が決める。
人に何かものをあげたあと、「あー損した」とか「もったいない」と惜しむ気持ちが生まれることもときどきあるかもしれません。
なぜこのような感情が生まれるのでしょうか?
たとえば自分の部屋にテレビがあるとしましょう。
でも仕事が忙しくてなかなか見る暇がありません。
ある日友だちが家に来て、「いいテレビですね。私のソファーをあげますから、そのテレビ、私にください」と言ったとします。
友だちがすごくテレビを欲しがっているので、「しょうがないな、じゃ、持って行ってください」と言って、あげたとしましょう。
でも後になって「あー損した」と後悔する可能性もあります。
なぜならソファーは別にあってもなくてもいいものですが、テレビはときどき見ていましたから、自分にはまだ必要なものだったのです。
このように、「やっぱり自分には必要だった」と惜しむとき、「損した」という感情が湧いてくるのです。
しかし、価値というものは受ける側で成り立つのですから、実際のところ、与える側には損も得も関係ありません。
なのに、いったん手放したものにたいして未練がましく執着して悔やんだりすると、悩みの種になって苦しみが増えるだけです。
友だちが喜んでいるなら、それでよいのではないでしょうか。
世の中は「与えて得る」というギブ・アンド・テイクのシステムで成り立っているのですから、なんらかの形で自分が与えなくてはならないのです。
それなら、悔やんだり悩んだりしないで「人の役に立ててよかった」と、与えた喜びを味わって、充実感を感じながら生きるほうが「得」なのではないでしょうか。
—『智慧と慈悲の開発レッスン: 過去に悩まず、未来を期待せず、現在に生きる シリーズ心を育てる本』アルボムッレ・スマナサーラ著
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