日記と記事、書き方の違い。_2
昨日のnoteは3日の日記を読み返して気づいたことをまとめました。
日記は書きながら考える、仕事で書く記事は考えてから書く、というシンプルな違いがあるという内容です。
日記を書く=アウトプットすると思考が整理されるのは、書きながら考えるからなんだと、あらためて気づきました。
そういえば学生の頃、何かにムカついたことを日記(当時は手書き)に書き、気持ちがリセットされたことがある。思い出しました。
渋谷の桜ヶ丘にあるカフェで、カウンター席の窓側に座り、街ゆく人を眺めながらつらつら日記を書いていた。
書いているうちに、「とはいえ、こういう考えもあるよね」「全部がダメなわけじゃないし」とトーンが前向きになっていき、最後は「色々あるけど、明日もがんばろう!」とスッキリ。書くっていいなぁって思った。
その日記帳もどこかにいってしまったし、ムカついた出来事は忘れちゃった。だけど、書いた場所や風景、日記を書いてポジティブな気持ちになった気持ちは、はっきり覚えている。不思議。
日記を記事に仕立てるなら?
一方、日記を書く楽しさと同じくらい、編集の楽しさもあります。
そこで、ここからは「8月3日の日記を仕事モードで記事にするならどう編集するか」考えてみようと思います。
まず、書いたものを読み返しテーマを考える。
今回は、今の時流を踏まえて「在宅での働き方」と「性格」がいいかな。
普段の仕事でも、脱プラが顧客とのコミュニケーションを生むとか、人前で堂々と使えるパッケージとか、関係なさそうでありそうな、2つのことを掛け合わせたひっかかりのあるテーマで書いた記事は評判が良いことが多い。
書き出しは短いほうがスッと読み始められるので「私はめんどくさいのが嫌い。」にする。
さらに「だから規則正しく働いている。」と、あえて理由にならなそうなことを続け、
「めんどくさいのが嫌いなことと規則正しく働くことは、一見矛盾しているようだけど、私にとっては正論」と、その関係性をあげていく。
そうなると、昼休みを1時間と決めている話は残せそうですが、タモリ倶楽部の話はバッサリ削除。ウーバーの話も。
このバッサリ削除は、本当に仕事でよくあります。
たとえテーマを決めてから書き始めても、余計なこと書きすぎることは珍しくない。
書いてる途中で「コレ、まるっといらなそう・・・」と気づく。
そしたら手を止めて、割と時間かけて書いたものでもバッサリ削除。たいていその後、一気に仕上がります。
削除した部分は、再利用することもできる。
もし、タモリ倶楽部のことをどうしても書きたいなら、タモリ倶楽部がなぜ面白いか自分なりに分析するとか、他にも好きなテレビや動画について考えて、何か共通点などが見つかったら、それをテーマにしてみるとか。
その方がテーマが絞られるので、読みやすいはず。
原稿の長さについては、媒体にもよると思いますが、Webの記事で3000文字以上は長い。忙しいビジネスパーソンには、最後まで読んでもらえない確率が上がると言われています。
ま、面白ければ最後まで読まれるので、長さだけの問題ではないとは思いますが。ちまにみ、この日記はこの時点で1400ちょっと。
思考をめぐらしながら書く日記は、一人遊びみたいなものでもあり、ライターである私にとっては筋トレみたいなものでもある。これからも続けていきたいと思っています。