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大瀧詠一のラジオ論(後編)~不定期という特権
前回(記事)は、大瀧さんはこだわりの人であって、音楽に関しては子どものような人であった、これはクリエイターにとって大事なことではないのかという話を書きました。
今回はその続きで、そのようなスタンスを持つ人はどのようにそれを維持していくべきなのかについて話は展開していきます。
1.スポンサーをつけちゃダメなのよ
前回の続きで、亀渕さんの話を追っていきます。
大瀧さんはレギュラーを持っていた時期もありますが、トータルで考えるとほとんどスペシャルとかゲストでラジオ出演していました。
これには重要な意味があると彼は言います。
それは、ノープレッシャーで番組や音楽をつくることができるからです。
逆にレギュラーにしたらスポンサーの影響が出てきます。レギュラーでやるということはスポンサーの力が不可欠ですから、スポンサーの意向がどうしても影響し、それが作り手へのプレッシャーとなります。
これは大瀧さんのような「子ども的精神」で創作する人にとっては、非常にきついことであり、質の低下を招きかねない危険なことであったりもするわけです。
同時に、レギュラーにしてしまうと、「終わり」を迎えるという宿命が襲ってきます。亀渕さんの例でいえば、「ビートルズ」です。天才であるジョンとポール、そしてジョージとリンゴというスーパースターがレギュラーバンドとして音楽を作り続けることは極めて危険なことであり、結局10年ほどで解散してしまいました。しかも、晩期は決して円満な活動ではなかったことはファンならご存知のことでしょう。
一方、イレギュラーは「終わる」宿命やプレッシャーが基本的にないのです。「ローリング・ストーンズ」のように。このバンドはメンバーを変えつつも、一度も解散することなくいまだに活動を続けています。このバンドはメンバーが不仲になることが多く、活動が活発化したり、停滞したりを繰り返すのですがなんやかんやと続いています。ま、イレギュラーというか、「優等生にはならない」というか。でも、そういう距離感があるからこそ、長続きしているのだと思います。日本のバンドも「活動休止→再開」みたいな流れをとることが増えていますが、一種のイレギュラー戦略とも言えるのかなと思います。濃密すぎる時間は時に毒になるのです。
定期的なコンテンツにしなければ、イレギュラーでいることができます。「濃密なコンテンツ」を一度作ったら、しばらくはやらない、しばらくしたらまた「濃密なコンテンツ」というやり方ができるからです。
コンテンツ作りで悩むのはいいですが、それ以外で大瀧さんを悩ませてはダメだと亀渕さんは言います。
2.これからは個人を売る時代だ
亀渕さんはこれから(84年以降)のラジオは、DJのキャラを売るものになると指摘しています。嫌いなものはやらないという時代が来るのではないかと。
数が売れるコンテンツより、数はある程度で構わないが影響力のあるコンテンツのほうがこれからは大事だということです。(なお、売れなくていいわけではありません。これは大事)
この考えのポイントは、ファンを持つことです。実際、ファンを満足させれば、結果的にそれ以外の人も買ったりするのでトータルでは伸びたりしますからね。
そしてファンをつけるには、個性が必要なんです。
亀渕さんはキャラと言っていますが、私はこれを個性と言っていいと思います。そして、個性とは要は「こだわり」なんです。「馬鹿じゃないの」と言われるようなこだわり。
逆に言えば変人がもてはやされる時代とも言えるのですね。
そういう時代のコンテンツづくりのスタンスは一言で言えば、「聞きたい人はこの指とーまれ!」なのです。
マス狙いの場合は寄せていくのですが、変人の場合は待つのです。ブルゾンちえみかよ。
3.不定期という特権
この亀渕さんの評論を大瀧さんは「こんなに本質をついたものは他にない」と言います。
そして、この不定期は若いころの難行・苦行の末に手に入れた幸せで宝物だと言います。
それを世の人は、目障りなのか「働け、働け」と催促。ビジネスマンは何とか定期に持ち込もうと考えていると嘆きます。
でも、
私の一番大事なものはこの“不定期”です。せっかく苦労して手に入れたこの宝物を、そう簡単には手放しませんゾ。
と言って、この宣言を結んでいます。
一般に、不定期とかイレギュラーなものというのは、無秩序で価値がないとされがちです。それは一面当たっている部分もあって、社会の運営であったり、維持したりするときには必要なものではあります。
でもそれがすべてにおいて正しいのかと言えば、そんなことはありません。しょせん社会など人間が後付けでつくってきた「概念」に過ぎません。生物というのは不要な部分に定期を持ち込むことはありません。エサの時間はきっちり守る野良猫も、それ以外はテキトーに生活していますよね。あれと同じです。
不定期である、イレギュラーであれるのは、自由社会に生きる私たちの特権です。この特権をぜひとも生かして、世に残るコンテンツをつくること。それがクリエイターの1つの使命だろうと私は思います。
そのためには、「子どもであること、こだわること」、そしてその結果として「ファンをつくること」が必要です。
これは楽なようで、結構大変です。でもきっと「大変だけど、楽しい」ものにあなたならできると思います。
私も何かそういうものへのお手伝いができたらな、と思っています。
最後に、大瀧さんは(ある意味当然ながら)21世紀になっても「ゴー・ゴー・ナイアガラ」をやることはありませんでした。ま、不定期ですからね。「アメリカン・ポップス伝」というラジオは年に2回ほどやっていたのですが。そして、2013年に世を去りました。
私は最近大瀧さんのことについて、調べ始めた人間なので、新しいものが出てこないことに何とも残念な気持ちになります。
でも、新しいことをやって、ファンを獲得し、不定期という特権を謳歌した人生の軌跡は後世に生きる私たちの道しるべになり続けるのではないか、そんな気がしています。
それでは!
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