あーしあわせだなあー
と
私が思う瞬間には
はっきりとひとつの類型があって
というよりも、
ひょっとしてそれだけが「私」の求めるしあわせなのでは?
お前アホちゃうか
と思えるパターンがあってそれは
おいしい・・・
と思うものを味わったとき
なのですが
それを更に分解してみると
(1) 本当においしいものを手に入れることが出来た、うれしい
(2) それをおいしく料ることが出来た、うれしい
(3) 更にそれを元気においしく食べることが出来た、うれしい
(4) 一緒に誰かと分かち合っていれば尚、うれしい
ということになるようです。
おいしいものを頂けばそりゃしあわせに決まっていますが、それを
あーーーーーー
ホントにもーしあわせだーーーーー
と
頭の中でぐわんぐわん
響き渡るように思うようになったのはおそらく
「ああ人間って絶対に死ぬのだな」
と本当の意味で実感した5年近く前、
1回目の乳がんが発見された時からのことで
うーん・・・
だからといって「それは大変ですね」
あるいは「それは大変でしたね」
だとかそういう話では全くなくてむしろ
自分はこの先
いつどういった状況で死ぬのか全く分からないし選べないけれど
5年前に一度
「ああ人間って絶対に死ぬのだな」
ということに本当の意味で気が付くことが出来て良かったなあ
死ぬ前にそのことに気が付けて
本当に良かった
というキツイ冗談のような話なのですが
特に
その季節、その瞬間にしか頂けないものを
わくわくしながら舌の上に乗せた時
そしてそれが
ううう・・・ウマイ・・・
とうめいてしまうくらい美味しかったりすると
あーーーーーー
ホントにもーしあわせだーーーーー
と、家族で顔を見合わせながら心の中で
(今、家に果物が山ほどあって食べ切れないから
このイチジクを少ししか買わなかったけれど
やっぱりもっと買えばよかった)
(でも足りないくらいがおいしいのだ、そうなのだ)
(私が買わなかった分を他のどなたかが召し上がって
日本のどこかで「おいしい」と喜んでいる人がいる、
おいしさを分かち合ったのだ)
と
もっと買えば良かった
という欲深な自分の気持ちに折り合いをつけて
また来年もみんなでこのイチジクを食べようね
ということになります。
このイチジクは、
我が家がいつも直接お願いしている
自然栽培の農家さんから送って頂きました。
例年
「何という品種でしたっけ」
と飽きずに聞き、カドタという答えを忘れてはまた翌年聞いて
あはは、そうでしたそうでした
と思うカドタという品種のおいしいイチジク。
2024年8月末、暑すぎた今年の夏や
奇妙すぎる台風10号からも分かる通り
気候に「普通」がなくなり、野菜や、特に果物
それも農薬も肥料も使っていないものを
こうしておいしく頂けることは奇跡に近いと思っています。
ありがとう