写真整理 Ⅲ 〜懐かしの台湾写真〜
どうも西尾です。
今日の大阪の天気は晴時々曇・最高気温13℃の予報(Yahoo!天気より)で、明日から金曜日までは雨が降ったりと天気が悪くなるみたいです。
鼻水に、目がショボショボして本格的に花粉の影響も感じるようになってきました。
皆様もどうぞご自愛ください。
写真整理 Ⅲ
〜懐かしの台湾写真〜
私たちの乗る路線バスは台湾の街中を走り、一路台北駅へ向かっていた。
バスの車窓から見る台湾の景色はやはり日本とは異なる。
先ず目につくのが漢字の看板だろうか。
日本でも漢字は使用する為、なんとなく意味が分かりそうであるが、これは何という意味だ、と全く分からない看板も多い。
私は初めて見る異国の地を目に焼き付けるのに忙しかった。
バスはどれくらい走っただろうか。
空港からおよそ1時間くらいだったと思う。
立派なビルが立ち並ぶ街に入ってきた。
ここが台北か。
人の多さ、バイクの多さ、日本とは違って街に活気が溢れているように思えた。
私たちの乗るバスは程なくして台北の中心駅・台北駅に到着した。
台北駅前の人の多さや賑わい、各地へ向かうバスの多さなど、台湾の中心地であることが垣間見れる。
とりあえず、私たちはバスを降りた。
一緒に行動をしていたイタリア人はこの後、台湾東部に向かうらしい。
私はとりあえず予約をしておいた宿に向かおうと思っていた。
その前にイタリア人から朝食をご馳走してくれることとなった。
非常に嬉しいことである。
朝から何も食べていなかったので腹ぺこだった。
台北駅の近くの飲食店街に向かった。
そこは日本で言うところの、駅裏の飲み屋街と言ったところだろうか。
朝から営業しているお店は少なく人通りも疎らだった。
その中で営業しているお店に入る。
お店と言っても屋台みたい作りである。
「越南美食」と書かれたお店(屋台)で食べることになったが、漢字で色々とメニューが書かれている。
牛肉麺や猪肉麺など、その他にも書かれているがよく分からない。
牛肉麺や猪肉麺はある程度想像ができた。
牛肉や猪肉を使った麺類なんだろうと。
実際に注文したのは牛肉麺。
初めて見て、食べる牛肉麺。
日本の肉うどんのようなものを想像していたので、出来上がった時には驚いた。
麺も何方かと言えばベトナム料理のフォーのような感じだ。
スープも出汁云々ではなく、香辛料の効いたスープ。
季節が2月であったが、夏の暑い時期に食べたくなるサッパリとしたスープ
初めて食べるこの牛肉麺がものすごく美味しかった。
値段も安く、量も多い。
朝からお腹を満たすにはちょうどいい。
台湾料理と言うよりベトナム料理なのかもしれない。
と思っていたらお店の看板は「越南美食」で、越南(ベトナム)と書かれている。
ああ、私たちはベトナム料理屋さんで朝食を食べていたのか。
しかし、この牛肉麺のお店は台湾のあちこちにあって、台湾の人には一般的な食べ物であるらしい。
どうも不思議に思った。
後で調べると、牛肉麺は中華圏で広く食べられている料理で台湾はもちろんのこと、大陸や香港でも食べられている。
またベトナムでも食べられているそうだ。
食文化と言うやつだろうか。
日本から少し離れただけでも食文化が異なる。
この時から私は牛肉麺の虜になってしまったのだが、日本でも中華料理屋さんや台湾料理屋さんを見かけると牛肉麺はないかと確認してしまう。
神戸・元町の中華街を歩いていると牛肉麺の匂いが漂っており、匂いにつられて歩いて行くと香辛料屋さんだった、なんてことがある。
これもイタリア人の誘いが無ければ経験しなかったことかもしれない。
食べ終わると、台北駅に移動してイタリア人が鉄道切符を買うのを見届けた。
見届けたというより、私も台湾の鉄道切符の買い方が分からなかったので、勉強がてら見させて貰った、という方が正しい。
その後、切符を買い終わったイタリア人は改札口に入って行った。
すごく気さくで陽気な感じで、人の良いイタリア人であった。
台湾東部の花蓮に向かうらしい。
イタリア人が言うには、台湾は東部(東海岸)の方が良いらしい。
西部(西海岸)はどこも街ばかりで台北と変わらない、東部(東海岸)の方が海も綺麗でのんびりできる、ということだった。
台湾の情報を何も収集していなかった私は、そうなんだ、と関心した。
駅で別れた後、私は駅前の街並みを見ながら予約したホテルへ向かった。
昔ながらのビルに混じって最近出来たと思われるビルが建っている。
昔ながらのビルの感じや南国特有の街路樹、そして陽が昇り気温が上昇してきて感じる暑さ、澄んだ空の青さに南国・台湾であることがより一層身に染みた。
台湾には所々で古い建物を見かける。
上写真の右側に見える時代を感じる建築物(歴史主義建築)は、日本統治時代に建てられた建築物で、現在は台湾の国家機関(監察院)が使用している。
他にも日本統治時代に建てられた建物が現存しており、今でも使われていることが多い。
私はさらに歩き続けて、台北のシェラトンホテルの前を指を加えながら見つつ、予約していたTAIPEI HOSTELへ向かった。
雑居ビルの合間を縫うように歩くとその看板が見えてくる。
ここが私の宿であるTAIPEI HOSTELだ。
ビルに入り、今にも壊れそうなエレベーターで宿のある皆まで上がる。
エレベーターの扉が開くと一瞬ここが宿なのか分からなかった。
と言うのも、薄暗い部屋にテレビやソファーがあり、人の話し声や笑い声が聞こえてきたからだ。
私は間違って人の家に迷い込んでしまった気分であった。
皆は合っているはずだと思い、声を掛けてみると、TAIPEI HOSTELで合っていた。
受付をしてくれた女性は、タンクトップに短パンというものすごくラフな服装(部屋着だろうか?)であった。
すごい所を予約してしまった。
しかし値段が安いのは助かった。
雑居ビルの中とは言え、宿泊賞金は当時のレートを覚えていないが、日本円で一泊1,200円程だったと思う。
破格の安さであるが、部屋についてはドミトリータイプの相部屋であった。
部屋はカーテンで仕切られていたが、狭い部屋にベットが四つもあり、風通しも悪かく、敷いてあるエアーマットやタオルケットは綺麗なのか?疑ってやまなかった。
確認しようにも薄暗くて確認できず、私はとりあえず荷物を置いて、必要な物だけを持って台北の街に繰り出した。
続く。
以上になります。
お読みいただきありがとうございました。