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空白のゲーム時代を楽しむ

※この記事はゲーム『逆転裁判』のネタバレをしないように配慮しております。

『逆転裁判』との出会い

小学生までは友達と集まって、テレビゲームや携帯ゲームをよくしていました。家でひとりでゲームをすることもありましたが、私は何事もこまめに進めるのが苦手で、我慢弱い性格だったため、つい徹夜してしまい、生活が乱れてしまうことが多々ありました。中学生からはなかなか友達とゲームをやる機会もなくなり、大学生になってからはお金も時間もないのでゲームを極力控え、代わりにゲーム実況動画を見て楽しむようになりました。  子どもが生まれてからはさらにそう言った時間もなくなり、あれだけ仲の良かった私とゲームとの距離は開くばかりでした。

そんな私が今年の2月上旬、現役弁護士芸人・こたけ正義感さんの『逆転裁判』ゲーム実況に出会いました。周囲から勧められた漫談動画を観る流れで、なんとなく惰性でゲーム実況動画を再生したのがきっかけ。こたけ正義感さんの軽快なツッコミや、ゲーム内の裁判と実際の裁判の違いを比較する解説が面白く、夢中になりました。しかし、それ以上に『逆転裁判』の脚本の面白さに惹かれ、「このゲームを初見で体験できないのはもったいないかもしれない」と感じました。そして、一度実況を見るのをやめ、ニンテンドースイッチで『逆転裁判 123+456コレクション』を購入したのです。  


空白のゲーム時代

逆転裁判シリーズは、初めはゲームボーイアドバイスで発売され、ニンテンドーDSでシリーズが展開された作品です。振り返ってみると、ゲームボーイアドバンスやニンテンドーDSが全盛だった頃、私は中高生でした。妹がプレイしているのを隣で眺める程度で、自分ではほとんど触れることのないゲーム機。当時、私の中で特にニンテンドーDSは「年下の子ども向けゲーム機」という印象が強く、あまり関心がなかったのです。

後にかつてやっていた『ゼルダの伝説』のリメイクや昔から読んでいる漫画『テニスの王子様』のゲームをプレイしたくなり、大人になってからニンテンドー3DSを購入しました。つまり、ゲームボーイアドバンスとニンテンドーDSが流行った時代は私にとって「空白のゲーム時代」なのです。



大人になって学んだ「無意識」

私は今年で34歳になるのですが、ここ数年で大きな学びを得ました。それは 「人間には何も考えていない無意識の部分がある」ということです。  

私はずっと、すべての行動や言動には理由があると考えて生きてきました。だからこそ、どれだけ対話しても、自分の発言に責任を持たない人や約束を破る人のことが理解できませんでした。しかし、結婚してから密に関わる人が増え、夫や息子とのやりとりの中で「どうして〇〇したの?」と聞いても明確な答えが返ってこないことが多くありました。  
「なんとなくやった」ことは記憶にすら残りにくい。私が思っている以上に「無意識」や「衝動的な行動」は生活の中にあふれているのだと気づいたのです。

さらに、最近は仕事の関係で「行動経済学」という心理学と経済学を融合させた学問を学びました。その中で、人間の思考には「咄嗟に判断するシステム1」と「じっくり考えるシステム2」があると知りました。システム1で反射的に行動したことを、後からシステム2で振り返っても、必ずしも答えが一致するとは限りません。

このことを知ってから、私は人間関係のトラブルにおいて、過去の行動の「真意」を追求することにあまり意味がないのではないかと思うようになりました。  


あいまいな記憶と言語化の難しさ

ニンテンドースイッチはスクリーンがついた携帯モードだと重すぎて手首がやられそうになるのでテレビに接続してプレイしています

そんな私が、大人になって初めてプレイした『逆転裁判』。
主人公の弁護士・成歩堂龍一は、罪を犯してない被告人を弁護することが多く、証拠品を集めながら、証言の矛盾を暴き、真実を追求していきます。
魅力的なキャラクター、ユーモア溢れる会話、伏線を見事に回収していくストーリー。昔からミステリー作品が好きで理屈っぽかった私にとって、このゲームの論理的な推理要素はとても心惹かれるものでした。もし、子どもの頃に出会っていたら、間違いなく夢中になっていたでしょう。  

『逆転裁判』では、証人が証言をしますが、真実の中に思い違いや嘘が紛れています。前述のとおり、人間の記憶や判断は意外と曖昧なものです。
人間は「なんとなく」や「そのときの思い込み」で発言することもある上に、それを言葉で説明するとなると、さらに正しく伝えることの難易度は跳ね上がります。

私は漫画家として、自分の考えや行動を言葉や絵で表現する機会が多く、同業者と「感情を解析する」こともあります。しかし、言語化できる人は、ある意味「言語で戦うことを選んだ人」だけなのかもしれません。普段、なんとなく感じていることやなんとなく行動していることをすべて正確に言葉にするのは、日頃から訓練していないと想像以上に難しいことなのではないかと思うのです。もしかしたら、証人たちは皆、何かのクリエイターなのかなという考えが過りました。

大前提として犯罪は悪いことで絶対に許されるものではありませんが、「刑事裁判では絶対に冤罪を阻止すること」が原則だと実況の中でこたけ正義感さんが度々言っていました。曖昧な記憶による証言が裁判において重要な証拠として扱われる以上、多角的に物事を見る必要があります。証拠を元に罪を証明する検事と被告人の弁護をする弁護士が対立して論議していくことの必要性を上澄みだけですが素人ながらにうっすら感じることができました。

余談にはなりますが、先日、著作権と契約書について実際に弁護士さんに相談する機会がありました。中学生の頃に母親の離婚手続きで弁護士事務所に連れて行かれたことはあるのですが、私が主体となってお話しするのは今回が初めてです。ちょうど『逆転裁判』に夢中になっていた時だったので脳内ではずっと「異議あり」の音声が流れていましたが、実際のところはひたすら「なるほど」と頷くしかありませんでした。  機会があれば、今度は裁判の傍聴に行ってみたいです。


巡り合わせ

現在は『逆転裁判3』までクリアしており、私の大好きな御剣怜侍が主人公の『逆転検事』と『逆転裁判4』を交互にプレイしています。ここまでやってきて、1話ごとに出てくるキャラクターやエピソードが本当に面白く、シリーズ全体で一つの大きな事件へと繋がっている構成に感動を覚えました。是非『逆転裁判123』はまとめてプレイすることをお勧めします。

こんな素敵な作品をどうして今まで知らなかったんだろう。子どもの頃に出会う機会はいくらでもあったのに、もっと昔に魅力に気づいていれば…と、「空白の時代」をもったいなく思うこともあります。しかし、それと同時に思うのです。子どもの時に出会ったとしたら「ここまで深く味わうことができただろうか」と。
大人になった今だからこそ、理解できる感性があるのではないかと思います。作品との出会いにも、人との出会いにも、きっと巡り合わせのタイミングがあるのです。

だからこそ、私が『逆転裁判123+456コレクション』を定価で購入した5日後にセールが始まり、3千円ほど値下げされたのも…きっと、巡り合わせなのでしょう。公式にお金が落ちるのは嬉しいことではないか。定価分しっかり楽しんでいこうと思います。
そう思おうとしても私の悔しさは消えなかったので、セール価格の『逆転検事1&2セレクション』を買いました。そのうち『大逆転裁判1&2』も購入予定です。

こたけ弁護士さんの『逆転裁判』ゲーム実況はこちら。私はクリアしたところまで実況を観て復習するという生活をしているので、毎日が忙しくとても充実しています。皆さんもどうぞ!

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