思春期の子供にとって本当に必要なのは聴いてくれるだけの人が居ること
最近、自分の中で思っている事を書こうと思う。
思春期の子どもに限らず我々全ての人間には、ただ話を聴いてくれる人が必要だと思っている。
何気ない日々を過ごしていく中で、本当に必要なのは話を聴いてくれる人。「君ならできるよ」と言ってくれる人。そういった人が居ることであると思っている。
それは私の高校時代の経験からきている。
高校時代の経験
私は高校時代に学校関係のことで色々と悩んでいた。学校を転校したいと本気で思っていた。その時に1番の支えになったのが、学校のカウンセラーの先生だ。
学校生活が上手くいっていない私をみて、担任の先生からある日カウンセラーの元に行くように言われた。その時、私は「なんで行かなきゃならないのか」とやや反抗的な態度でカウンセリング室に向かった。
その部屋は保健室の一角で、私と先生以外誰もいない状況。
行った初日は高校生と先生との間でするような、たわいもない話をして終わり。
私はその当時、「こんな話をするだけで私の悩みがなくなるわけじゃないだろう」と思っていた。何か本質的な問題に対する具体的なアドバイスが悩みを解決すると考えていた。
だが、回数を重ねるうちに私の中で変化が起こってきた。何故かは分からないが、少しずつ心が軽くなっていったのだ。私の中にある問題はそのまま残っているのに、心が楽になっていく。
他の先生と違い、この先生は私の言うことを無条件で肯定してくれる。白黒ジャッジせず、意見を言うわけでもない。
私にとって、他の先生に何かを話す時に持っていたモヤモヤがない。人間は誰でも否定されそうな相手には自分の本心は話さないものだ。ただ、この先生は敵意が感じられなかった。言葉で言っているわけではないが、私の味方であると感じたのだ。
大学生になり、カウンセリングなどを学ぶときに「無条件の肯定」や「答えは相手が持っている」といったカウンセリングの構えを理解して、高校の時にカウンセラーの先生から受けた姿勢はこれだったんだと理解した。
そして、何回かカウンセリングを受けていたとある日。私は、その先生に向かって自分が下した決断を堂々と言った。別に問題の本質的な解決ではなかったが、自分でこう進むと下した決断だった。
それまで悩みの種は環境が変わらない事への苛立ちであった。いわゆる受け身の姿勢だ。なんで世の中はこうなんだといった具合に。特別何をするわけでもなかった。それが、言葉にした途端、自分が動いて解決できるものという認識になったのだ。
私の心が晴れて悩みが自分の解決するべき課題に変わり、前向きになれた。本質的に問題の解決はしてはいなかったが、自分が今できる事をするというマインドになった。
私が下した決断に対して、その先生はとても喜んでくれた。私が自分で下した「決断」そのものを喜んでくれたのだ。
今になって振り返るとその先生が居なければ、あの時どうなっていたのだろうと思う。実際に体験したからこそわかる、ただ聴いてくれるだけの存在がいかに重要か思い知った。
子供に必要なのはただ肯定してくれる人
私は思春期の子どもに対して親や他の大人が、何かをして問題解決しようとする姿を見てきた。ただ私はそれがベストな解決策であるとは思わない。
時には、こうした方がいいと言われて解決することもある。ただそれは本当に博打でしかない。
私が重要だと思うのは、「何があっても貴方の味方だよ」という姿勢の大人が1人その子の横にいるだけだ。人間は話をただ聴いて欲しいのだ。
これは大人も一緒で、「問題があればあなたの話を聴くよ」という大人が多過ぎると思っている。例えば、会社の人間関係が悩みでうまくいってない。だからあの人の話を聞いておこう。といった言った具合だ。
都合の良いときだけ話を聞く姿勢は正直バレる。信頼関係ができていない人間に話す内容はそこまで深くないはずだからだ。
私が考えるに人間はよく分からないが、自分のことを肯定してくれる存在がいるだけで頑張れる。
子供に必要なのは憧れのスーパースターでもなく、オリンピック選手でもない。有名人と言われる人があなたのもとに来たとして、その刺激は興奮するだろうが、1ヶ月も一緒にいたら慣れる。そのような刺激は人間の生活を豊かにする一部にはなるが、何か逆境を乗り越える経験には繋がらない。逆境は自らで乗り越えていくからだ。
これは科学的な根拠がないが、かなり言えることだと思う。
誰かの横にいて、ただ話を聴く。そんな大人がたくさんいれば、もっと生きやすい世の中になるのではと思ってます。
もう少し他人に寄り添う世の中になってゆくと良いですね。
では。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?