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「お客様は神様です」 やりすぎと強迫性

ホスピタリティの暴走

ケンタッキーでアルバイトをしていたとき、
「ホスピタリティ」という言葉を
知りました。

それはマネージャーから教わった、
「おもてなしの心」を指すものでした。

自分が接客を受けるとき、
漠然とした不愉快さを感じることがありましたが、
それを先回りして解消してくれる
素晴らしい接客があることに感動しました。

ディズニーランドやリッツカールトンの
接客例が書かれた本を読み、
自分も「お客様の想いを叶えられる、
素敵な店員になりたい」と努力していました。

しかし、あるとき
マネージャーが
「お客様を最優先する」あまり、

一緒に働く仲間を
大切にしていないように見えました。

その厳しい態度に、
違和感を感じたのです。

「お客様は神様です」の誤解

「お客様は神様です」という言葉は、
三波春夫さんの言葉として有名ですが、
誤解されることが多いフレーズです。

多くの人が
「神様なんだから、お客様の言うことを
 すべて聞きなさい」と解釈していますが、
これは誤った理解です。

三波さんのオフィシャルサイトでは、
この言葉の真意について
ご本人の言葉を紹介されています。

三波本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。

 『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』

(引用:三波春夫オフィシャルサイト 三波美夕紀) 

つまり、この言葉が本来意味するのは、
「お客様にへりくだる」ことではなく、

「相手を想い、自分の役割に
 真摯に向き合うこと」なのです。

やさしさがつなぐ心

では、なぜ病的なまでに
顧客至上主義が蔓延して
しまったのでしょうか。

それは、「お客様のため」という
建前の裏に、「クレームを避けたい」
「責任を取りたくない」という
逃げの姿勢があるからではないでしょうか。

本当にお客様のためを想うなら、
「お客様を神様」と考えるべきではありません。

なぜなら、神様は完璧であり、
悩むこともありません。

しかし、私たちが迎えるお客様は
人間であり、さまざまな悩みや欠点を
抱えています。

そして、私たち自身もまた
不完全な人間です。

完璧ではない者同士の関係だからこそ、
お互いの不完全さを受け入れ合う
「やさしさ」が必要です。

この「やさしさ」は、
お客様との関係だけでなく、
一緒に働く仲間や関係者との
間にも求められるものです。

非現実的な強迫的思考

こうあるべきだという
強迫的な思考を
神経症者は、他人にも自分にも
押し付けがちです。

そこには、真面目さがあっても
「やさしさ」がありません。

本人は真面目さこそ
「他人に迷惑をかけない」という意味で
「やさしさ」なんだと理解していますが

受け取る側としては
杓子定規で融通の効かない
冷たい人と映ります。

人間が完璧ではなく
様々なゆらぎの中で
矛盾を受け入れていることを
認めたくないのです。

だから仲間に対しても
白黒つかないことまで
モラルを盾に非難してしまうのです。

仲間を大切にできない人に
お客様を大切にすることなんて出来ない

仲間であっても
お客様であって
みんな同じ人間です。

仲間を大切にすることで
お店の雰囲気は良くなり
お客様が感じるイメージも
良くなります。

他の従業員はダメなのに
自分だけ褒められるとしたら
周りがダメなのではなく
自分が仲間を大切にして
いないのかもしれません。

どんな仕事も
自分ひとりでは完結しません。

強迫的なまでの
完ぺきを目指すのではなく

仲間のミスや欠点を受け入れて
協力し合える環境を作ることが
最高のホスピタリティだと思うのです。

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