錦織神社とチリンサン/かつらぎ町妙寺
『錦織(にしこおり)神社とチリンサン』(9/11)
先週、突如2年ぶりに浜名湖越えしたのは、シャチファミリーに会いたかった為でもあるが、実は父祖の地・大阪富田林を訪れ、地元の神様に亡父アキラの報告をという目的もあった。とはいえ、金歯光らせながら河内弁まくし立てていた祖父マサルが若い頃出ていったきり、地元とのご縁は切れており、遠縁の方から父宛てに賀状が届いていた位なのだが。そんな訳で大阪入りした翌朝近鉄に乗り、約5年ぶりにご先祖の氏神様、錦織神社へ(川西駅下車)。
ひょんな事から10数年前、5世紀に百済から渡ってきた機織職人集団・錦織部(にしこりべ、にしごりべ)がご先祖らしいと知り(@国立民族学博物館)、だからあたしも流浪の民なのだなぁと、辺りの地名に錦織や錦部がある事にも勝手に親近感を覚え、時折訪れたりしている。だけどボタン付けがやっとの、裁縫オンチな不肖の子孫で本当に申し訳ない…。お守りを頂こうと受付におられた女性(恐らく宮司の奥様)と少しお話しをし、あぁ錦さんも森元さんもここ下りた所に何軒かおられますねと。そしておみくじを引かせて頂くと1番、大吉‼️
再び通りに出て駅前へ行くと、週末のだんじりの提灯が目に留まり、おや2〜3日遅ければ見られたのに!でも折角ならちょっと、古い集落を散策しようと思い(田舎ゆえ家々が分かる町内会案内板もあり)、とある角をまがると…チリンサン⁉️
まん丸な石が石の家の周りに積み重ねられていた。何だろう?と思ったが、何か地元の方には意味があるのかも、触ったりするとアカンのでは、と一応遠慮してこそっと写真だけ撮ってその場を離れたのだった。
後で調べると「南河内の謎」として、このチリンサンは話題になっており、どうやら石をほこらの中に納めて祭られる風習が、この辺りにあったのだとか(日本書紀に下百済河田村と記述があるらしく、長らく百済郷と呼ばれていて渡来文化の影響説も)。
今や残っている所は殆んどないそうだが、何や知らんけど神様がおられるという事で、今でもお葬式の時に前を通ってはいけないとか、また子供達が悪戯で石をずらしても翌日には元に戻るという、言い伝えもあるらしい。全く信心深くないあたしだが、こういう昔ながらの話って面白いな、それもゆかりのある土地で、となかなか感慨深かった。今週末はお天気もよく、岸和田よりはこじんまりとしていても、甲田だんじりもきっと盛り上がった事だろう。
『かつらぎ町妙寺(写真3)』
その後更に電車を乗り継ぎ揺られる事1時間、高野山の麓エリア、JR和歌山線・妙寺駅へ。ここは母方祖母出身地で、母ヤスコや伯母は疎開していた事もあるらしい。7〜8年前に訪れた時は使えなかったICカードが漸く使用できるようになった代わりに、無人駅となって車内でICをタッチなんて、ちょっと海外みたい(違)。それにしても言葉を失う程のThe田舎、いや絶景…。紀の川の向こう側迄足を伸ばしたかったが、その日中に戻れなくなりそうで、また汗だくになりながら駅へ戻ったのだった。
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