母の物盗られ妄想に苛立つ自分へ
些細なことに大きなダメージがある
朝味噌汁をつくり終え、鍋蓋を探すも見当たりません。前夜洗い物をしてくれた母に「蓋はどこにやった?」と声をかけると、「知らんよ。何でも私に聞かないで」とご立腹。ここから宝探し(そう呼ぶようにしています)のスタートです。嫉妬妄想に関係性が薄いものは捨てる確率は低いようです。
5分後に見つけました。カレー用のお皿と一緒に重ねられてました。母に発見を伝えると、「私がそんなとこに置くはずがない。私は知らんよ」と。このようなやり取りが毎日2~3回はあります。
中身があるモノは厄介です。例えば食器用洗剤は液体を全て捨て、容器だけが食器棚の奥にキッチンペーパーに包まれた状態で置かれてました。ちなみにこれ、2ヶ月で4回目です。
母はアルツハイマー型認知症です。記憶力の低下と物事を整理する能力が失われていくことは典型的な症状だと理解しています。でも苛立ってる自分がいます。物を忘れることに対してストレスは全くありません。それは風邪をひいた人に「咳をするな」とは言うようなものです。ではなぜストレスになってるのか。
”無駄な出費”
私の思考がそう処理するからでしょう。
まだまだ未熟者です。書きながら恥ずかしい思いですが、事実なのです。これも認知症介護の必要経費なのでしょうか。この種の出費が、介護生活のあちらこちらに散らばっているのです。
母の「物盗られ妄想」にどう向き合うか
悪循環です。まず認知症による「記憶障害」が起きます。そんな認識はない母は、これまで通りに洗い物や片付けをするわけです(体調が比較的良いときは)。しかし後々、
「あれ!ない!」
家族からは、「おばあちゃん、どこになおしたの?」と聞かれます。ここでさらに認知症の代表的な症状である「物盗られ妄想」が出てきます。
「どうもおかしい。誰か家の中に入ってきてる」
「お父さんの彼女が家にきて持ち帰った」
被害妄想と嫉妬妄想が不安に拍車をかけ、「不安亢進」を誘発します。結果、誰にもわからない場所や見つからないように隠してしまう「強迫行動」につながるようです。
図をみてるだけで悪循環だと滅入ってしまいます。まさに沼です。
どうすればよいのでしょうか。図の循環過程を眺めると、「どうにもできないこと」と「何かできること」がないでしょうか。一つだけ、「物盗られ妄想」→「不安亢進」の過程だけは、私の態度でプラスにもっていけそうです。父を思い出しました。
家の物がなくなった(正しくは、見当たらなくなった)とき、母はよく、
「お父さんの彼女が捨てた」
「泥棒が入ってる」と口にします。
浮気を4年間疑われ続けてる父は激昂します。怒りを抑えきれず、モノを投げつけたり、手をあげたことも何度かありました。そのとき母は、決まってパニックに陥ります。落ち着いたと思えば、独言が数時間続くのです。
コントロールできること、できないこと
図のサイクルで私がコントロールできる過程はその1点しかありません。今のところ。「不安亢進」→強迫行動」、「強迫行動」→「記憶障害」はどうにも手のつけようがありません。
「不安の母と憤怒の父」の間で私が吸収役になることだけは可能性がありそうです。
介護生活も2ヶ月が経とうとしています。弱音を吐かせてもらうならば、寝不足とため息が増えたことです。まだまだ先はながい。
のんびり進もう…尺取虫のように。