演奏家になれなかったし、なれる気がしない。いったいなんの「壁」があるのか?その1:タイプ
タイトル画像:ジャズピアニスト、デイブ・ブルーベックの写真
反田恭平氏の演奏を聴いて、見て、打ちのめされる。清塚真也氏の演奏も。
自分は雑食系で色々な楽器をやって来て、演奏をするのが大好きでした。逆に言えば練習は嫌い。本番が好き。
一つのことに集中してないくせに当たり前、と言われるのを覚悟で言えば、演奏は続けたいと思ってましたが。
今は音楽はたまにピアノを一人で弾く程度。
作曲でお金はもらえていたけど、演奏ではもらいたい!と考えるのもおこがましい、と思ってしまう程度。
普通に一生懸命練習した先に「プロの演奏家」という姿になれる気がまったくしないんです。そこに「壁」がある気がしてならないのです。
それってなに、というのを書きながら考える記事。
練習の行く先にプロがある理想像
音楽に限らず、スポーツも、学問も。
最初は初心者。そこから少しずつ技術や知識を蓄え、だんだん理解も深まっていく。
そのまま右肩上がりで伸びて行けば、誰でもその道のプロになれそうですが。
もちろん、プロの数を考えれば、「そのまま」続けていく才能も努力の量もどんどん右肩上がりに増やせる人、という条件はありそうです。
でも、本当にそうなのか?という思いが。
実際はそうではない
どの分野にもあてはまりそうです。
プロが良く言う「あきらめなければ夢は叶う」は、残念ながら全員に当てはまらない言葉だと思ってます。夢を追いかけてる子供、ごめんなさい。自分の意見です。
この言葉を正しく言い換えれば
「あきらめずに頑張って、さらに夢を叶えられた人がプロです」
でしょう。つまり、現実的にはあきらめずに頑張っても夢を叶えられない人はたくさんいる。
そこで考えたのが「壁」。
どこかに、プロになれる人、なれない人、が分かれるわけです。とにかくそこを超えればプロ、という薄い壁なのか、10mくらいある分厚い壁なのかわかりませんが、壁はあるような気がする。
実は学問で気づいた
結構まじめに勉強していたので、東大に行くぞ!などと根拠のない言い方をしていた時期もありました。それこそ高校に入ったら右肩下がりで無謀な夢でしたが。
気づいたのは数学。
中学までの数学はある意味ゲームみたいなもの。それなりに公式を理解すれば、ある意味ゴールには必ずたどり着けます。つまり、攻略法の通りにやればゴールには行ける。
それが、高校の数2、という微積分が入ってきたあたり。
公式は理解できても、そのあとが攻略につながらない。
ある種の「タイプ」の違いを感じたわけです。自分は数学を理解できるタイプじゃない。
うっかりそのまま数学が受験科目にある大学に進んでしまい、決定的にこの考えは間違ってないことを痛感。よたよたしながら卒業しました。
ここで思ったのは頭と体の連動の仕組み
筋肉が多いタイプの人がマラソンの選手には向かないように、体のタイプとスポーツの成功体験は連携します。
体の性能もありながら、大事なのはそれをコントロールする頭との連動。オートマチックな部分と制御する部分の密接なメカニズム。これがある種の最終的な個人差に大きく影響するのでは?という推測。
学問、楽器、などのフィジカルじゃない体験についても、タイプが関係するのかな、と思い至った次第。ある種の情報処理と体の連動といいますか。
少なくとも、音楽演奏におけるこの連動のすさまじさは、相当な処理能力が必要なことは理解できます。
自分にはそれは無い、ということが、演奏家になれるかなれないか、の決め手になったのかと思うわけです。
自分のタイプってなに?
誰でも何かフィットするタイプがありそうです。
幸運にもそれを引き寄せられれば比較的若い段階で専門家になれる。
簡単に見つける法則は今のところ思いついてないので、「幸運」と書いてますが、これもある種の手繰り寄せ技術はあると思います。
さて、自分は。
とにかく「仕組み」や「原理」を理解したい傾向にあり、さらにそれをなるべく一般化する説明に落す、というのが得意。
これは、仕組み入りのビジネスや企画を作るのに向いてます。特に今やっているIT系サービスはこの領域。
自分で何かの原理を発明するタイプではありませんが、既にある技術を組み合わせて新しい体験を作るのは逆に何も苦労しない。
音楽も同じ。
リアルタイムに制御する能力は付きませんでしたが、作曲という、仕組みを使った再構築は得意。何も考えずに色々な曲が勝手に出てきます。
タイプを見つけるには?
一つに集中するのも素晴らしいことです。でも、色々やってみることで、出会いのチャンスは増えます。
日本の学校のクラブ活動の考え方は実は反対。
アメリカは、アメフトやって野球やってバスケットやって、と色々な活動を平行している奴かっこいい!という考え方があります。
日本はプロになるためのカリキュラムがまるで唯一のコースのように使われ、単にふるい落としが行われてしまってる傾向があると思ってます。日本の教育と似てますね。
ピアノ教育を思い出す
自分の経験してきたピアノのレッスンが、結構このことを体現してる気がします。
その2で書こう。
まだまだ色々と書きたい記事もあります。金銭的なサポートをいただけたら、全額自分の活動に使います!そしたら、もっと面白い記事を書く時間が増えます!全額自分のため!