ニシイケバレイ通信 Vol.6
オーナーつれづれ
案の定、9月の祭礼が終わると月日が時間が過ぎるのが早く感じる。 10月は色々ありすぎてもはや記憶にないくらいあっというまに終わった。このまま大晦日までさらに加速しそうな勢いだ。ともあれ、今年もハロウィンが終わった。近隣のお店何店舗かと協力して3年前から「ニシイケハロウィンスタンプラリー」というイベントを開催している。正直ハロウィンはまったく興味がなかったが、今7歳の娘がやたらハロウィンを楽しみにしていて、1年前から何のキャラのコスプレをするかを決めていたりしているものだから、重い腰を上げて3年目。せっかくなので、私もここ2年は逃走中のハンターに扮して、ケガさせない程度に子供たちと戯れたりしている。ハンターは礼服にサングラス、マスク、手袋があれば扮することができるので実に簡単。来年もハンターかな。一緒にやってくれる大人たち募集します!
私も学生時代にはウルトラマンや仮面ライダー、戦隊モノのアクションショースタッフとして中の人をやっていたので、まぁ嫌いではないという感じです。今年も100人以上の子供たちが来てくれて、とても楽しそうだったので、また来年も開催だな。うちの娘、今度は何になるんだろう?
11月に入り、池袋でも少しずつ紅葉の気配が見えてきた。夏の暑さでついつい後回しにしていた、畑仕事や外仕事もやらなきゃだ。①刈り取ったバケツ稲の脱穀と籾摺り
②6月に住人の子供たちと製作した生ごみ処理器「キエーロ」の活用
③チャノマで出るコーヒー粕などを板橋のハスネファームに協力してもらって堆肥にしてもらうこと
④広葉樹の落ち葉を集めて腐葉土にすること
⑤剪定枝などを利用してカエルや小動物の住処「インセクトホテル」を作ること※これは12月9日にワークショップを行う予定
⑥畑スペースで冬野菜の栽培etc. こういうことを通じて、都会にいても「循環」や「自然」を感じられるような機会をつくり、自分自身もそれを体感したいと思っています。いずれは興味ある皆さんと池袋からあまり遠くない郊外で米作りをしたい!というのが当座の目標です。興味ある人いますか!
わくの芋煮会 11/12開催!
和酒酔処わくの2店舗目となる「わく別誂」と「ふう」。 「わく別誂」はわかるけど「ふう」って何? よくお客様に聞かれます。 実はオープン当初は、コンセプトの異なる2つの飲食店がひとつ屋根の下に展開されてました。その名残です(笑) そんなところの店長の粟野順之と申します‼️ 山形出身の43歳です。 ちょうど秋口から県内全土で【芋煮会】なるイベントが開催されます。 山形市で行われる【日本一の芋煮会フェスティバル】が有名ではありますが、 この時期の山形県民はほぼ毎日芋煮を食べます。 青年会で、いとこ会、町内会に、父兄会、職場仲間や友人と等々何かにつけては河原に集まり芋煮会をやるのです。 ただ【芋を鍋で煮る】という単純で抽象的な料理のため地域や家庭において様々なアレンジやオリジナリティが有り、毎日食べても飽きないのです。 ただ県内において入れる具材と味付けの違いにより相容れない勢力争いがあります。 庄内地方(県北日本海沿岸部) ・豚肉を使用した味噌仕立て と 内陸部(庄内地方以外) ・牛肉を使用した醤油仕立て の二大勢力において 「発祥は庄内」 「ただの豚汁」等 お互い一歩も譲りません。 この芋煮会時期は 県内だけにはおさまらず、東北全土を巻き込んだ、芋で芋を洗う争いが繰り広げられてますので、 特に山形に行かれる際は【芋煮の味付け】というワードは禁句ですのでご注意願います(笑) ちなみに私は内陸部出身なので牛肉醤油仕立てです!
(粟野※わく)
焼き芋よろず
気づいたら焼き芋屋さんになってました。 普段はただのカレー好き会社員です。ほぼ毎日ランチにカレーを食べ歩いています。家でもスパイスからカレーを作っているので、ニシイケバレイの中でも「カレーの人」というイメージが少しずつ付いてきました。 ニシイケバレイとの出会いは、前焼き芋よろず副店長の大塚さんから「焼き芋買いに来ない?」と誘われたこと。それから焼き芋よろずの手伝いをしたり、カレー作りイベントに参加したりする中でニシイケバレイの居心地の良さにハマりました。気づけば大好きな焼き芋をニシイケバレイに残すため、即断即決で焼き芋よろずを引き継いでいました。 家族に焼き芋屋さんをやると言った時、子ども達は大喜び。上の子は生芋の処理にプライドを持っていて既にプロフェッショナル。下の子の「焼き芋屋さんで―す」の呼び込みは、我が子ながら可愛くてニヤニヤします。新焼き芋よろずファミリーに会いに来てください。
(北川※焼き芋よろず)
インタビュー
今回は、ニシイケバレイのChanoma隣で今季の営業が始まった『焼き芋よろず』北川さん。
平日は会社員、土曜日は焼き芋屋さんの顔を使い分ける器用な人。 周囲の人に北川さんの印象を聞くと、「いいお父さん」「穏やか」「どんな時も崩れない」「面倒見がよい」と、とにかくいいことばかりでしたが、中には「毎日のようにカレーを食べている」 ことから変わり者疑惑を指摘される方も。「ずっと自分で何かやりたかった」という夢を叶えた 北川さんにインタビュー!
ー焼き芋屋さんをしようと思ったきっかけは? 「『焼き芋よろず』は以前の会社の先輩がやっていた焼き芋屋さんで。その先輩が今年、移住し まして、東京での『よろず』を引き継ぐことになりました」
ーいきなりですか? 「一年前、先輩が手伝いを探していて、週末お手伝いをしてました。焼き芋はもちろん、人が集う 場所である『よろず』のファンだったので。それから会社に縛られない働き方を考えていたりし て」
ー仕事で大事にしたいことは? 「去年、一昨年買っていただいたお客さんを大事に味を落とさず、守っていきたいです。今後はカ フェに置いてもらうとか、リヤカーで売り歩いたりしてみたい」
ーニシイケバレイのどんなところが魅力ですか? 「このコミュニティが楽しいし、子どものこともみんなで見てくれる。子どもは下処理を手伝っ て、それが売れたらお小遣いがもらえることになっているんですよ」
ー北川さんにとって『焼き芋よろず』とは? 「人と繋がるためにやっています。仕事以外の人と繋がるのは大事なこと」
ー「焼き芋よろず」のロゴはお芋の周りに輪ができることを表しているそう。 ジャズバンドでドラマーをしていたことがあるとか、イメージコンサルタントを目指して、地元三重から東京の入りたい会社の社長に直談判しに来たなど意外な面を持つ北川さん。焼き芋を焼く のに掛かる時間は45分。売り切れていたら、次のお芋が焼けるまで北川さんの意外な一面を探っ てみてください。
ひひひ
ふと幼少期の時によく食べていた「ゆかりスパゲッティー」を思い出す。名前の通り、ゆかりが絡まったスパゲッティーである。幼少期の記憶というのは気がつくと、アルバムの写真や映像を見るような他観的な記憶にすり替わっている。自分がそこにいて、ゆかりスパゲッティーを食べてる情景が浮かぶ。自分が自分の目の前に座っているような。でもそれは、母からの私を見る視点であり、それを大きくなった私が同じ視点で映像を見ているだけなのだ。年齢を重ねれば重ねるほど、幼少期の記憶というのは体の奥底に沈んでいき、どんどん今の記憶がその上に重なっていく。手をぐぐっと底の方を探れば、きっとどこかにはあの時の記憶があるんだろうな。