「愛情が大切」と言う前に、何が必要か考え、行動したかだなぁとフグの世話しながら思う。
最近、漁師さんからホシフグという魚をもらいました。
このフグは、今の冬の水温(10℃以下)の環境では暮らしていない温帯域にいることが多いと考えられるフグです。
漁師さんの網にかかったのは、たまたま海流に流されて隠岐に来てしまった中で運悪く入ってしまったのでしょう。
本来の生息温度と異なる(寒い)状況でかつ網にかかっていたせいで皮膚が傷んでいたのでしょう。搬入して1日で皮膚がぼろぼろになりました。
もちろん何もしないわけにはいきません。投薬をおこない、水替え量を多くして、水のキレイさを保ち、二次的な細菌感染や寄生虫に攻撃されないよう対策をしていきます。
だいたい、最初になんらか処置を施す時点で、「手遅れ」か「いける」かはなんとなく想像がつくものですが、これは「いけそう」とすぐに思いました。それが以下の写真。面白いですよ。
ホシフグちゃん、補給している新鮮な海水の真下を明らかに意識して移動してきたのです。
ここから補給が終わるまで、動くことはありませんでした。
つまり「気持ちよかった」んでしょう。古い水より新しい水の方がいいのです。この移動はつまり「移動する体力はある」というシグナルでもあります。そして「新しい水をくれたほうがおれは嬉しいぜ」というサインです。死にかけの魚がこんな行動をする余裕は逆にありません。ジッと隅っこから動かずそのまま死ぬことがほとんど。これは「いけそう」と思いました。
とは言え「いけそう」です。「いけた」となるまで決めたことを、サボらず、淡々とこなし続けることが、治療の決め手となるのは魚も同じです。
そんなこんなで1ヶ月。毎日水替えを続け、皮膚は順調に回復!
回復してくると嬉しいものです。達成感あります。
普段は黙黙と作業してますが、こういった変化がわかる一瞬は、普段仏頂面の僕も笑顔になります。
しかしこの時も気は抜かず、観察が重要。
回復してきたので、あえて水替え量を少なくして、次の日に観察をしてみると、粘液を多く出していました。
おそらく水替え量を75%から30%に変更したことにより、水質が回復途中のフグにとっては不十分になってしまったと考えました。そこで再度水替え量を75%に戻しなおしました。粘液はとまりました。
餌も食べだしたので、恐らくはこのままいけば回復するでしょう。
けっこうかわいいので、健康にしてやれば、子供からも好かれるんじゃないでしょうか。フグは愛嬌があります。
いったんここまでは頑張れたー。
「ふー」と息吐くと同時にふと思い出しました。
昔、水族館で上司に「飼育は愛情」と言われたことがあります。まぁ、無理に否定する気もないのですが、自分にとってはいいアドバイスではないなと思います。
ありきたりな映画の主人公みたいな発言ですが、愛とか愛情という言葉が僕にはよくわかりません。でも多分、わかんない人って多いんじゃないですかね?よくわかんないけど、なんとなくわかるものでもあるからみんな映画とか小説とかでテーマとして扱うとも思うのです。
なにがいいたいかというと、別に「愛なんてこの世にない!」とかアホみたいなこと言いたいわけではなくて、「仕事のアドバイスとしては適切ではない」と思うんです。
気持ちやモチベーションを高揚させるもの、渇を入れる言葉としては、効果があるかもしれませんが、そんなもの短期的な言葉にしかなりえない可能性もあります。
ちなみに別の上司からは「よく見ろ!」とよく言われました。
なにかにつけ失敗するたびに「よく見ろ!」と叱ってくる人で、
それはいいアドバイスだったなと思います。
※その人は「愛情」なんて言葉一度も使ってなかったような、、、
そんなこんなで、「愛情が大事」と考えている暇があるなら、「魚を見て健康状態を把握する」ことのほうがよっぽど「愛情をかけている」と思うようになりました。
飼育をしていると、このような禅問答的な面白さと出会います。
生物学的なコトより、最近はこういう向き合い方が飼育をやってて面白いことです。
特に今は、いわゆる水族館で働いているわけではないので、自分で課題を設定して自分でひたすら頑張る毎日です。同僚とかいないので、分かち合う相手は、このnoteを見てる方々くらいです(笑)。こうして書いて、黙々と過ごす日々が吐き出せるのはありがたいことですね。ありがとうございます。
ではまた。
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