特性と上手く付き合う

理学療法士として仕事を始めて9年目となる。
しかし、心身の不調を抱えて休んだりしていたので、実質5年くらいしか働いていないと思う。
そして、ライセンスを取るまでにも10年掛かっているから、理学療法士という仕事に執着し続けて20年近くになると言える。


何度も本気で諦めようとした。
人生終わらせようと何度も思った。
それでも、今でも理学療法士という仕事に執着してる。


やっぱりシンプルに好きなんだと思う。
人と関わることに難しさを感じながらも、人と関わることが大好きだ。
人と触れ合うときに感じるあの温かさが好きだ。
他のなにかでは感じることができないものだと思う。


私は発達障害だし、HSPであるから、人と接することには精神的に過大な負担が掛かる。
仕事中は集中しているから分からないけど、帰りの電車に乗ると身体が痛いのを感じて、ぐったりとなってしまう。


また、発達障害で空気の読めない発言をしてしまうが、HSPやアダルトチルドレンの特性もあるので、顔色を伺うという点では普通の人より長けてる。
つまり、「今のわたしの発言で気分を害した」ということが分かるのだ。


発達障害だけでは、こんな生きづらさを抱えて生きていかなくちゃならないこともなかったのになあと時々思う。


現に、父も母も発達障害だが、私が怒りの感情を抑えつけてる時も、全然気づかずに気分を害するようなことをしてくるし、言ってくる。
でも考えようによっては、それも辛いのかなとは思う。


とにかく、それでも私は人が好きで、趣味も「推し活」だ。
私が推している人は、才能も持ち合わせているけど、ものすごい努力家の人ばかりだ。
才能にも惹きつけられるけど、その生き様に強く惹かれることが多い。


私は一人で頑張って生きている訳じゃないと、背中を押されるというより、並走してくれている気分になる。


私にもがむしゃらに頑張っていた時期があった。
辛くて辛くて、それでも自分を鼓舞しながらも心身ともにボロボロになって頑張ってた。
なんであんなに頑張ってたのか、頑張れたのか、もう今の私には分からない。


でも当然、そうやって身を削る想いをして生きてた時より、今の方がしあわせだ。
「みんなに追いつく」ことを諦めてから楽になってきたように思う。
私なりの人生でいいのではないかと思ってから、少しずつ希望が見えてきた気がする。


今は、仕事の負担を増やすというより、長く続けることが目標だから、常勤は考えてないし、私には無理だと冷静に判断できる。


以前は、出資は休日の勉強会のみで、その他は貯金だったけど、今は「推し活」という楽しみのためにお金を使っている。
そのために働いているんだから。
「推し活」があるから頑張れるのだから。
もうそんな生き方をしても良いのではないかと思える。

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