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青 ひ げ 【9/10】

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 念入りで慎重すぎる愛撫だった。
 念入りすぎるほど念入りな愛撫。
 
 マッサージをしているとき、青山は施術者を超えた愛撫のだったが、本格的に愛撫をはじめると……
 彼は不朽の芸術家になる。

 彼は彫刻家だった。
 粘土だった女をなにか別のものに捏ね上げ、違うものにしてしまう。

「んああっ! ……あああっ…………あ、あ、ああああっ…………!!!」

 わたしはアホみたいに喘いだ。
 発情期のカバみたいに啼いた。

 青山の愛撫は常にわたしを捏ね上げ、持ち上げ、ぺったんと落とし、丸めて、伸ばして、平らにしたかと思うと、パスタみたいに棒状にして、編み込み、またもとの形のないわたしに戻してしまう。

「こうですかあ? ……よくわかんないんですけど、こんな感じですかあ~……?」

 たとえば、おっぱいを揉まれているときは……生々しい話でごめんね? ……たんに揉まれているというのではなくて……胸の脂肪の中にあるはずのない固い芯や凝りのようなものを発見され、それをまんべんなくほぐされているような。

 わたしはこんなふうに胸を揉まれたことがない。
 ほぐされたこともない。

 単に胸を揉まれているだけだというのに、日々の暮らしのわだかまりの全てが、そこで溶かされていくかのようだった。
 
「ああっ……ああああっ……だ、だめっ……い、いや、だめじゃないっ…………!」

 やはり、彼はわたしに“救いと癒し”を与えてくれているんだろうか?
 わたしは、彼によってなにか別のものに、より上位のものに昇華しようとしているんだろうか?

 そうかも知れない。
 いや、その逆なのかもしれない。

 わたしは蟻地獄のなかにいるのかもしれない。
 もがいても、もがいても、わたしがすり鉢状の砂の底に落ちていく。
 
 そして、その下で待ち受けているのは、青山の姿をした何か別の生き物だ。
 おぞましい姿をした、明確に昆虫とも呼べない怪物。

 そいつはわたしを捕らえ、消化液を注入する。
 まるで病原菌に感染したみたいに、どす黒く変色し、やがてどろどろに溶けていくわたしの身体。
 そしてだたの汚い汁になったわたしは、最後の一滴まで吸い上げられる……

「こんなかんじは…………どうですか?」
 
「ひゃんっ! ……んんんんんんっ!!!」

 乳首を青山の指が攻めだしたときは、青山の背中に爪を立てていた。
 奈落の底に落ちていかないように、彼にしがみつくように。
 でも青山にしがみついて、一体何になるっての?

「も、もうだめ、もうがまんできないっ……………し、下もして………」

 
  ああもう、わたし何言ってるんだろう?
 なにもかも、自分から言っちゃってるじゃん。
 数週間前から台本を渡されて、一人でずっとリハーサルしてきたみたいに。
 

「はいはい、待ってくださいね~………」

 まるで“天ぷらそばひとつ!”と言われた立ち食いそば屋のご主人のように、青山が言う。

「んんんっっ!!!」

 指が入ってきた。

 青山が指先で何かを探していることは明らかだった。
 話には聞いたことあるけど、そんな部分が人間の身体のなかにある、ということにも半信半疑だった。
 これまで、他人からその部分を正確に責められたことがない。
 
 わたしのその部分に到達したインディ・ジョーンズはいない。

 しかし、いとも簡単に青山はその部分を探り当てた。
 
「くあっ…………」
 

  いきなり激しく責めるようなことはしなかった。
  やさしく、様子を見ながら……その致命的なポイントがじっくりと捏ね上げられていく。

 灯した種火を、大切に大切におだて、すかし、慰めて、育てていくように。

 腰から下が、ほんとうにドロドロの液体になっていくような気分だった。
 気がつくと、腰が数センチほどベッドから浮いている。

「たっ…………たまんないっ…………お、お願いっ……」

 たまらず腰を左右に振ろうとすると、青山の左手がそっとその腰の動きを止めた。

 逃げ道を失ったわたしの腰は、じんわりと与えられるその刺激に身を任せ、青山の思うがままに高められていくしかない。
 指はゆっくり確実に、わたしの感覚を高めていく。

「やっ……だ、だめっ……だめっ……も、もうっ……」

「だめなんですか? してほしいんですか? ……どっちなんです? 川辺さんは、困った人だなあ……」

 青山はくすく笑っていた。

(し、死ぬっ……こ、このままじゃ……し、死んじゃうっ…………)

 イってしまうのは時間の問題だった。

 
  そうなった結果、もとの精神状態に戻ってくることができるかどうか、正直言って自信がない。

「あ、あ、あ、あ、…………あ?」

 青山の指がぴたりと止まった。
 

「な、な、何? ………な、なんでやめるのっ……?」

 わたしは本気の泣き声で言った。
 だだを捏ねている子どものように。

「あの……このままでいいですか? それとも……ええっと………その………なんていうか………あっちの方を………その………」
 
  言いにくそうに口ごもる青山。

「………い、挿れてっ……」わたしは言った「青山くんのっ……ほ、欲しいっ……」

 わたしは口ごもらずに、あられもない言葉を吐いていた。

 青山はそそくさと体勢を変えると、わたしの脚を大きく開かせて
 ………先端をわたしの中に挿入した。

「あ、あ、ああああああっ!」

 思わず、青山の身体にしがみついていた。
 抱きしめると、青山の身体は異様に冷たい。ずっと冷蔵庫のなかに籠っていたみたいに。

 生きている人間の身体とは思えなかった。

(……えっ…………?)

 ベッドから見える部屋の隅……テレビ画面に、なにかが映っている。
 貧相な男の肩からこちらを覗く、女の顔が見えた。

(……い、井口さん? ……井口さんが…………なんでここに……?)

 やせ細り、枯れ、しおれ、げっそりと肉の取れた頬。
 血色を失って、ほぼ灰色に近い肌色。
 落ちくぼんだ目だけが、ぎらぎらと輝いている。
 
 女は笑っていた。
 わたしを、あざ笑っている。

ばかね

 と女はその笑顔で言っている。
 ほぼ肉の削げた唇は半月の形に開いていて、ぞろりと歯がむき出しになっていた。

わかってたんでしょ? あなたも

 女はぞっとする笑みで、わたしにそう語りかけている。

 やがて……わたしは気づいた。
 テレビの電源は入っていない。

 
 画面は暗いままだ。
 その黒い画面に映っていたのは、青山にしがみつくわたしの顔だった。

  わたしは、部屋のすべての窓とすべてのガラス食器全てを割ってしまいそうなくらいの高い声を出した。

 絶頂の声だったのか、恐怖のあまり思わず上げた叫び声なのかはわからない……
 そして、そのまま気を失った。

 意識が戻ったとき、青山の姿がベッドにない。
 まだ薄暗かったが、わたしにもなんとか……明日という日が来たようだ。

 青山はわたしより早く起きて、シャワーに行っているらしい。
 耳をすますと……水の流れる音と、彼の鼻歌が聞こえてくる。
 

  わたしのお腹の上に、青山の精液が飛び散っていた。
  その生ぬるさを感じる。

  全身に鳥肌が立って……身体が裏返るような後悔と罪悪感が、わたしに襲い掛かってきた。


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