
帰り道の坂道、曲がり角の黒い女、そして虹【1/10】
なんで世の中にはこんなにも虹の歌が多いんだろう?
虹の向こうには何があるんだろう?
虹は目に見えるけど、錯覚のようなもの
虹には秘密なんてないと人は言い、信じるけれど
それは間違い。見ててごらん
いつかわたしたちは見つけるだろう 虹の架け橋を
恋人たちも、夢追い人も、そしてわたしも
~The Rainbow Connection
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わたしはそのとき、12歳だった。
学校からの帰り道。
小学校最終学年になっても、その帰り道の登り坂は厳しい。
わたしはショートカットで、Tシャツにショートパンツ。
当時はチビだったので、ラベンダー色のランドセルがとても重かった。
6年間も毎日毎日、この坂を登って帰宅してきたというのに、それでもまだ辛い。
アシスト付きでないと、決して自転車では登れない坂だった。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
わたしは荒い息を吐きながら、坂道を呪い、帰り道を踏みしめる。
季節は夏。体中にじっとり汗をかいている。
もうすぐ夏休みで、日は長くなったはずなのに、この坂道では両側に高い木々が壁を作ってるから、いつも薄暗い。
はやく家に着きたい思いはあったけど、坂はその厳しい勾配によって、全力でわたしの帰宅を阻んでくる。
学校に行くのは楽しい。
下り坂だし、学校にはたくさん友達が待っている。
当時わたしは楽しいお友達に囲まれていた。
家も嫌いじゃない。
ママもパパもやさしい。
柴犬のこむぎは、誰よりもわたしのことを愛してくれる。
しかし、学校が終わるとあたしはいつも暗い気分になった。
(ああ……また家に帰んなきゃ……やだなあ……)
改めて言うけど、決して家が嫌いなわけではい。
わたしはあの坂が嫌いだった。呪っていた。
あの坂を登らなきゃ、家にたどり着けない……ほんとうに、イヤな坂だった。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
わたしは荒い息をしながら、坂を登っていく。
家に着くまでに、左側に大きく曲がった道がある。
そこまで来ると、だいたい坂の半分。
ふつうならホッとするかもしれないけど、当時のわたしにとっては、
(ああ、まだ坂が半分ある……)
と憂鬱にさせる曲がり角だった。
その曲がり角が見えてくる……と、あたしはその場に足を止めた。
「えっ……」
曲がり角はゆっくりしたカーブを描いているが、わたしが立っている位置からぎりぎり、カーブの向こう、視界の外に消えるあたりに、なにか黒いものが見えた。
なにか黒いもの、と書いたけど、それ以外に言いようがない。
わたしの位置からはまだかなり距離があったし、それに曲がり角のあたりはとくに暗い。
それは、大きなクエスチョンマークを左右に反転させた形であるように見えた。
風景の木立や、その黒いものがある……いる? ……あたりに立っている事故防止ミラーの高さから推定するに、それの大きさは、1メートルにも満たない。
それはかすかに、ゆらゆらと動いていた。
「ええっ……」
揺れていることは、わかった。
でもそれが風かなにかで動いているのか、それともそれが生きているのか、わからない。
風で揺れ動いているなら、たぶんあれが何なのか、近づけばわかるだろう。
でもあれが生きているのなら、あれはわたしの知らない何かだ。
わたしにとって、恐ろしい、危険ななにかだ。
道を引き返そうか、と思った……けど、そうすると家に帰れない。
家に帰るための道は、この道しかない。
とにかく、あれの横を通り過ぎないと、わたしは家に帰ることができない。
どうしよう……
この坂道にはこの時間、ほとんど人が通らない。
車もあまり見かけない。
ということは、わたしは学校のほうに引き返すか、それともこのままあの“何か”の間を通り過ぎて家を目指すしかない。
どうしよう……
怖い、というか、わけがわかない。
あの黒い、反転したクエスチョンマークみたいな影が何なのかわからないし、あれがわたしにとって危険なものなのかどうかもよくわからない。
だから、ランドセルにくっつけている防犯ブザーを鳴らすほどではない。
……少なくとも今は。
わたしはしばらく立ち止まっていたが、決心する。
歩き出そう、と。
当時のわたしはチビで意気地なしでビビりだったけど、よくそんな決心がついたものだ。
一歩、一歩、きつい坂道を踏みしめるように歩いていく。
どんどん、曲がり角が近くなっていく。
その正体不明の影にも近づいている……やはりそれは、ゆらゆらと揺れていた。
奇妙なことに、近づいても……その影は暗いままで、輪郭がはっきりしていない。
近づいても正体がわからないのは無気味だったけど……とにかくその影の横を通り過ぎて曲がり角を曲がらないと、家には帰れない。
わたしは少し、歩調を早めた。
だんだん、その影に近づいていく。
すると……ようやく、その影のかたちがはっきり見えてきた。
「えっ……」
それは生き物だった。
というか、人間だった。
いや、人間なのかどうかよくわからないが、人間のかたちをしていた。
人間のかたちをした何かが、前屈の姿勢をとっている。
人間だとしたら、異様に柔らかい身体だ。
それに……
前屈しているとすると、それが立ち上がったら、かなりの身長になるはずだ。
それは女だった。女だと思う。女は真っ黒な裾の長いワンピースを着ていた。
髪が長く、地面に足れていた。ワンピースの裾も。
女の身体はとても柔らかいようで、ほとんど二つ折りになっている。
しかし、背中が異様に歪んで盛り上がっているので、それが反転したクエスチョンマークに見えたようだ。
その姿勢で女は、風に揺られるようにゆらゆらと身体を揺らしていた。
「うわ……」
わたしは思わず声をあげる。
逃げなきゃ、と思う。
でも、なぜかわたしの足は止まらない。
意志に反して、家に向かうわたしの足。
どんどん黒い影の女が近づいてくる。
いや、わたしが近づいているんだけど。
前屈した女の顔が……見えそうな位置までくる。
女の顔は見えない。
ただ、その身体がゆらゆらと揺れているのが無気味だった。
覚えているのはそこまでだ。
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