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妹 の 恋 人 【18/30】

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「いつも寂しそうだね」

 そう言われたときは、ほんとうに心臓が止まるかと思った。
 その頃のあたしはほんとうに孤独だった。

 地元の女子大に入学したものの、もともと鈍くテンポも悪く、気の効いた冗談も言えず、人と話を合わすこともできないくらい頭の悪いあたしは、すっかり周囲から浮いていた。

 キャンパスでもいつもひとり。

 授業は一人で一番後ろの席に座って受けて、お昼は学生食堂にも入れずにパンを買って、やはりひとりぼっちで中庭で食べた。

 周りの女の子たちはとても楽しそうだった。
 数人のグループをそれぞれに作って、みんなで一緒に授業を受け、一緒にお昼を食べて、一緒に帰り、休日も一緒にお買い物に行くらしい。

 男の子たちとの合コンの話題もよく耳にしたけども……それさえあたしには遠い世界のことに思えた。

 だって……万が一あたしに声が掛かったとしても、男の人と関わり合いになることは、自分で自分に災難を呼び寄せているようなものだ。

 
 いくら馬鹿なあたしでも、いい加減それくらいは自覚できるようになっていた。
 お姉ちゃんからは、遠く離れて暮らしてはいるけれど。

 
 あたしはまるで、一人で地球にやってきた宇宙人だった。
 
 地元で、親元で暮してはいるけど、家に帰っても会話はない。

 江田島さんのあの小説が発売され、二度目の引越しを経験して以来……両親はあたしに対しても、腫れ物に触るかのように接するようになった。

 いや、腫れ物どころではない。
 まるであたしは膿をたらして壊疽を起こしかけている、手のつけようのない傷口だった。

 あんなことをしておいて……しかも二回もあんなことをしておいて、それ以前のあたしに戻ることができるはずもない。

 お姉ちゃんはあれ以来、ますますあたしを無視するようになった。
 ひたすらに勉強に打ち込んで、お姉ちゃんは地方の四年制大学へ入学し、実家を出ていった。

 あれからの一年間、お姉ちゃんとはまったく口を効いていない。

 高校で顔を合わせても、お姉ちゃんはあたしをまるで透明人間のように扱った。

 しこたまあたしを叩いたお姉ちゃんは、右手の小指の骨にヒビが入り、しばらくギプスで固定していた。
 そのギプスが取れる頃には少しはお姉ちゃんの機嫌が直るかと思ったけど……そんな風に考えていたあたしは本当に甘かった。

 直接的な怒りが向けられることはなかったけど……さらに冷たい態度と無視の寒々とした日々が待っていた。

 かといって、あたしは、お姉ちゃんにそんな風に扱われて当然の妹だ。

 お姉ちゃんがあれ以来、ますます誰に対しても心を開かず、硬い、冷たい態度で接する寂しい人になってしまったのは、すべてあたしのせいだ。

 大学生活で寂しいときは、いつもお姉ちゃんのことを思った。

 あたしには決して笑顔を見せたり、優しくしてくれたりしてはくれない姉だけど……それでもお姉ちゃんのことを考えずにはおれなかった。

 何度もお姉ちゃんに手紙を書こうとしたが……止めた。
 あたしからの手紙をもらって、お姉ちゃんが喜ぶはずがない。
 
 大学でも会話なし。
 家に帰っても会話なし。

 やがてあたしは孤独に耐え切れなくなって、大学の近くの大きな本屋さんでアルバイトをはじめた。

 アルバイトなんてはじめてで不安だったけど、思っていたよりもずっと早く仕事を覚えることができた。
 アルバイト中は与えられた仕事に集中していればいい。

 店長も、先輩も、すごくいい人ばかりだった。
 おまけに誰も、あたしの過去を知らない。

 アルバイトは夕方から夜までのほんのわずかな時間だったけど……その数時間のおかげで当時のあたしがどれだけ救われたかわからない。
 

 しかし、そんな平穏も長くは続かなかった。

 その人は、あたしより三ヶ月遅れてその店にバイトとして採用された。
 ちょうど、あたし以外のもうひとりのバイトの女の子が、急に辞めることになったからだ。

 その人の第一印象は……“大きい”ということだった。

 まるでお相撲さんのように、小山のように、大仏のように、その人は大きかった。
 すごく短く丸坊主に刈り込んだ頭が、まるで雪だるまのように大きな体の上に乗っかっている。

 はじめてその人に会ったとき……とても失礼な話だけど、あたしはその人の相撲取りのような体積に圧倒されてしまった。
 多分、あたしの体積の四倍はあったんじゃないだろうか。

 しかし、そんな人を圧倒する体躯とは裏腹に、その人はとても愛想がよく、腰が低く、話し方もソフトで、人のことによく気がついた。

 あっという間に仕事を覚えて(もちろんあたしよりずっと早くだ)、ソツなく、ミスなく仕事をこなした。
 バイトの仲間や店長ともすぐ打ち解けた……バイトの女の子たちの中には、彼を敬遠する子も少なくなかっけど。

 その人の体型があまりにも威圧的であるということと……あと、その人があまりにも汗っかきなのが気持ち悪い、というのが理由らしい。

 確かに彼はいつも大汗をかいていた。
 夏にもなれば、着ている白いTシャツが透けるくらい、大量の汗を。

 時折、なにかの拍子であたしが彼の素肌に触れると……そのあまりの湿り具合にぎょっとすることも無くはなかったが……かといってあたしは、他の女の子たちのように彼を敬遠する気にはなれなかった。

 体があまりにも大きいのも、汗っかきなのも……彼自身が生まれもったものなのであって、彼の責任ではない。
 本人の責任ではないことで他人を否定するのはいけないことだ。

 このあたりは、あたしとお姉ちゃんで意見が大きく食い違ってくるところだけど。

 お姉ちゃんは……まだあたしと口を効いていてくれていた頃……
 人間の本性というものは、七割方外見に表れてくるものだと言っていた。
 どうもあたしにはそれが信じられないのだけど。

 それに……人の外見がどうのこうのという理由で人を嫌ったり否定したりする権利は、あたしにはない。

 人があたしのことをどう見ているかは知らない。
 しかし、人がどう見てくれようと、あたしの中身は真っ黒なで汚れている……これまで自分で自分に引き寄せてきた出来事のせいで。

 それと、これだけは一万回でも言えるけど、あたしは信じられないほど間抜けだ。
 そんなあたしが、どうして彼の外見だけを見て嫌悪感を抱けるだろうか。
 
 彼はあたしにもすごく親切だった。

 後になって、その人があたしと同じ一九歳であることを知って、正直びっくりした。

「……へ……へ……へえ、サ……サッちゃんって僕と同じ歳なんだね」その人は言った。「ってことは一九か。僕、一九には……み……見えないだろ?……ふ、老けて見えるだろ?」

 ちなみに、当時もバイト先であたしは“サッちゃん”と呼ばれていた。

「……そ、そんなことないですよ……」

 あたしは明らかな嘘をついた。

「……い……いいんだよ、気を遣ってくれなくても……ぼ……僕、ふ、ふ、老けてるって……じ、じ、自分でも判ってるもの。ほとんど、相撲取りみたいだからね。で、で、で、で……でも……サッ……サッっちゃんて……老けてるって意味じゃないよ……なんか、すごく大人っぽいよね?」

「……そ……」あたしは彼の意外な言葉に戸惑った「そうですか……?」

「うん……な……なんか、ほかのバイトの子たちとは、な、なんか違うって感じ……お……大人っぽいっていうか……なんか、落ち着いてるっていうか…………」

「……たんに性格が明るくないだけですよ」

「……うーん……そ……その、暗いってのとも違うんだな、な……なんというか……その……なんて言うか……あ、そう、さ……寂しそうなんだよ」

「ええっ?」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
 胸元に手を突っ込まれて心臓を鷲づかみにされたみたいに。

「い……いつも、さ、さ、寂しそうだね」

 彼はそう言って、あたしの目をじっと見た。

 あたしはしばらく何も答えることができなかった…………喉がからからになって、くらくら眩暈がした。

 ごまかして、内緒にしていた失敗が、一気にばれた時みたいな気分だった。
 恐かったわけじゃなくて、便秘から解放されたような、すっきりとした気分だ。

 それから、その人とあたしは、よくバイト中に話をするようになった。

 お互いのことをよく話した。
 けど、彼はすべてを話してくれた訳ではない。

 いろいろと、人には言いたくないことがあるんだろうな、と思った。
 あたしだって同じだったから、わかる。

 できる限りあたしは彼に話をしたけれど……それはほとんどお姉ちゃんにまつわる話ばかりだった。

 当然、あたしたちの恥ずかしい過去の話はしなかった。
 そんな話を聞いて、楽しい気分になる人なんているはずがない。

 だから話題は……あたしたちがあんなになる前の……つまり内藤先生と出会う前の、あたしたちが仲良く、平和だった子供の頃の話題ばかりになった。

 実際にそれまでのあたしたち姉妹が仲良く、毎日が平和で、幸福だったか、といえばちょっと怪しい。
 でも、事実で足りない部分は、なんとか作り話でカバーした。

 そんな話だって、彼にとって楽しいものであったかどうか判らない。
 でも、彼の気持ちなどおかまいなしに、あたしの口は勝手に動いた。

 ある日、あたしは彼に昔のあたしたち姉妹の話をしながら……いつの間にかレジの中で泣いていることに気づいた。

 どんな出来事について話していたのかは、もう思い出せない。
 
 でも、突然……彼の前で泣き出してしまった。

「ど……ど……どうしたの?」

 面食らった調子で、彼が聞く。

「……なっ……なんでもないんですっ……ご、ごめんなさい。こんなとこで泣いちゃうなんて、おかしいですよね。あれ、あたし、何で泣いてんだろ……?」

 でも、涙は止まらない。

「だ……大丈夫?」

 彼が大汗をかきながらあたしの顔を覗き見る。

「だ……大丈夫です」

 正気を取り戻すのに、しばらく時間がかかった。
 幸い、店長やほかのアルバイト、お客さんには気づかれずに済んだ。

「さ……サッっちゃん……き……今日、バイト終わったら……じ……時間ある?」

「え……?」

「の……の……飲みに、行かない?」

 彼の鼻の頭に溜まっていた汗が、ひとしずく落ちた。

 そして、本当に二人で飲みに行った。

 あたしはあまりお酒が飲めないのに、その日は気持ちが高ぶっていたのか、たくさん飲んでしまった。
 前後不覚になって、わけのわからないことを沢山しゃべった。

 どんなことを話したのかは、ほとんど覚えていない。

 内藤先生や江田島さんとのことも、勢いに乗ってしゃべってしまったかもしれない。
 とにかく、しゃべり、しゃべり、しゃべり続けて、ぷつりと意識が途絶えた。

 気がつくと、彼の部屋に居た。

 ぼんやりと曖昧な意識で見渡すと、彼はとても読書家らしく、六畳ほどのワンルームはたくさんの本が積み上げられていて……あたしはその中央に敷かれたビニールシートの上に寝かされていた。

 まるで渦巻きの中央に居るみたいに、見上げていた天井がぐるぐると回った。

 でも……ビニールシート? 
 何でビニールシートなんて敷いてあるんだろう?

 枕もとを見ると、一冊のハードカバーがあった。

 薄いグリーンの表紙で、淡い色調で描かれた二人の女の子がよりそっているイラストが表紙。

 ふたりはそっくりなので、その子たちはたぶん、双子なのだろう。
 あたしとお姉ちゃんみたいに……タイトルを見て、納得した。

双子どんぶり』。

 酔いのせいで、ショックも驚きもなかった。
 この本を書いたのは……そう、江田島さんだ。

「…………だ……だ……大丈夫?」

 彼が枕もとにやってきて聞いた。
 彼の額から落ちた汗のが、あたしのおでこに当たった。

 あ、言い忘れてたけど…………彼の名前は南野さんという。


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